5者のコラム 「役者」Vol.12

耳を澄ましてセリフを聞く

中野英伴氏の写真集「棋神」(西日本新聞社)の印象的記述。中野氏が舞台写真家として師匠木村伊兵衛氏の仕事を手伝っていた頃、舞台上の役者の姿を上手く撮ることが出来ずに悩んでいました。師匠の横で同じように撮っているのにシャッターを切るタイミングが少し遅れてしまうのです。
 悩んだ末に中野氏が疑問をぶつけてみたところ師匠はこう答えました。

役者を撮るのでは遅い。舞台写真は目で見ていては絶対にタイミングが遅れる。
 音で撮れ。耳を澄ましてセリフを聞き次の動きを察知し予測せよ。

カメラマンが良い被写体だと思った瞬間に役者は既に別の位相に移っている。プロの存在意義とは事件の発生を予測し既に万全の構えをとっていることなのだ。
 弁護士が契約書の検討をする場合、気を遣うのは、当該取引において想定され得るトラブルは具体的に何かということです。トラブルが発生したときに問題の条項がいかなる解釈指針になるかを考えます。想定されるトラブルが発生したときに、当該条項が当方に不利にならないように(出来れば当方に有利に働くように)条項の文言を考えていくのです。契約書の検討に限らず、弁護士も調子が良い時は「あの依頼者から電話がかかってきそうだ」「相手方からこういう回答書が来そうだ」というのが判るときがあります。調子が悪い時は、突然の電話に下手な対応をしたり、意外な回答書がきて戸惑ったりします。登録後数年、私は調子が悪いときの対処方法が判らなかったのですが最近の考え方は木村伊兵衛氏と同じです。「耳を澄ましてセリフを聞く」こと。調子が悪いときは独りよがりになっていたり慢心していたりするのでしょう。調子が悪いときは「耳を澄ましてセリフを聞く」と良いようです。そうするうちに再び次の動きを察知し予測できるようになる気がします。

易者

前の記事

依頼を断る実践知