5者のコラム 「易者」Vol.54

祝日祭日の呪い

今も愛唱されている唱歌「1月1日」。「年の初めの例(ためし)とて終わり無き世のめでたさを松竹たてて門(かど)ごとに祝う今日こそ楽しけれ」この歌は明治26年8月12日に告示された唱歌8曲の1つで千家尊福(文部省普通学務局長)の作詞、上真行(東京音楽学校教授)の作曲によるものです。国民的愛唱歌となったこの歌は「国家による時間管理」という明治政府の政策的要請により誕生しました(安田寛「『唱歌』という奇跡・12の物語」文春新書)。
 明治5年末、明治政府は欧米キリスト教国に合わせて、太陰暦を廃し太陽暦を採用することに決定します。明治5年11月9日、政府は明治5年12月3日をもって明治6年1月1日とする詔書を布告しました。太陰暦における29日分の暦が無視されてしまったのです。突然に時間を切り貼りされた国民の混乱は大変なものだったと思われます。国民の不満をよそに、啓蒙主義者福沢諭吉は「日本国中の人民、この改暦を怪しむ人は必ず無学文盲の馬鹿者なり」と教養人らしからぬ罵倒文言を発しています(「改暦弁」ちくま哲学の森6・229頁)。
 薩長主導の明治維新政府首脳はつい近年まで「攘夷」を叫んでいました。にもかかわらず政権を取ってしまうや、維新政府がさっさと西ヨーロッパに通用していたグレゴリー暦(キリスト教暦)を採用してしまうところが、日本人の変わり身の早さを示す象徴的出来事といえます。時間支配を象徴する暦の上では日本が突然キリスト教国になってしまったのです。天長節や紀元節という新しい祝日も、古来の時間意識を生きる日本人からは(グレゴリー暦で示される)「訳もわからぬ日」として反発の対象となっていたようです。現在の祝日祭日の多くが皇室行事に由来することは知られていますが、皇室行事も調べていけば意外と歴史は浅いことが判ります。戦後は天皇誕生日と東京裁判に深い繋がりがあることも知られてきました。祝日祭日には呪いが潜んでいるのです。

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