5者のコラム 「学者」Vol.107

最難関の資格に挑むハードルの高さ

旧法曹養成制度(旧司法試験制度)は極端な高倍率(50倍以上)の狭き門であった。であるがゆえに、いったん受かってしまえば「ローコスト・ハイリターン」の制度だった。2年間も国費で学べるとともに弁護士数の少なさによって1人あたりの仕事量が豊富にあった。が現行制度は受かるのが簡単になった代わりに「ハイコスト・ローリターン」の制度になった。こんなバカな制度に有為の若者が人生の貴重な時間を費やせる筈はない(芸者99)。
 私は上記文章を「儲かるか否か」という観点で読まれるように記載しています。が、知的好奇心のある読者ならば「極端な高倍率(50倍以上)の狭き門」という部分にも多少の関心が生じたのではないかと想像します。私が受験を始めた頃の司法試験は国家公務員上級職・公認会計士・外交官などと並んで「文系国家資格の最高峰」という位置づけが為されていました。多少知的プライドのある若者(特に正規のトーナメント戦に敗れ敗者復活戦に回った若者)にとって「最難関の資格に臨む」気概は人生の貴重な時間を費やすに値する高い壁でした。その壁を乗り越えたときにこそ「幼くして死んだ我が子の死化粧」(@我妻栄)を施せる、多くの受験生はそう思っていました。この「死化粧」の意義は金銭的な対価を度外視したものでした。大げさに言えば受かった後の「ローコスト・ハイリターン」の生活などは<おまけ>だったとも言えます。知的若者を法律業界に留めるためには最難関の資格に臨むハードルが必要です。これは損得勘定を超えたものです。司法試験制度が「知的好奇心と向上心を持つ若者の目標となり得るか」という極めて知的観点の問題です。「司法改革」は合格率の向上というゲスな目標をかかげることで知性に溢れた有為の若者を司法試験の場から駆逐した可能性があると私は感じています。少なくとも今の制度であれば20代の私は受験しません。

医者

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