5者のコラム 「役者」Vol.159

実存主義から構造主義への転換

別役実さんがインタビューで「孤独とは?」という質問にこう答えています。 

60年代の我々のような、少なくとも反体制的な人間の拠り所になっていたのは状況に対する恨み・辛みだったんです。「恨み・辛み」という形で孤独であることを理解できるときは「孤独であること」が武器であり得た。ところが時代とともにこの恨み辛みは消えていった。状況や生活が良くなったわけではないのに社会が情報化されるなどして視野が広くなったりすると「孤独であること」を確かめる拠り所としての恨み辛みが消えてしまう。80年代にほぼ消えてしまい、それに応じて個も「個」であることをやめ「孤」になっていった感がある。まとまりのある実体としての個人は消えて人間が意識だけの「点」になってしまった気がします。そうすると作品もおのずと変わらざるを得ない。点である「孤」の行動様式を形にしようとすると誰かとの「関係」の中にしか拠り所がない。それで「個人」の行動を描くのではなく「関係」の演劇になっていったんです。

一昔前の孤独には「孤高」という気高いイメージもありました。宮崎の「100年の孤独」なる高級焼酎はこの良いイメージを上手く利用しています。ところが1980年代以降、孤独には「寂しさ」という負のイメージが与えられ、90年代以降は孤独に対するイメージが更に悪化しました。それが脚本を作る際に影響を与えているとは驚きです。現代演劇を読み解いていくのは難しい。60年代に思想の世界で発生した「実存主義(主体性を重視)から構造主義(関係性を重視)への転換」が社会意識に反映されています。即ち人の意識が「内的に持続する主体」から「外部情報に反応する客体」に変わっているように感じます。標語的には構造主義の特徴たる「主体性の否認」や「歴史性の軽視(共時性の偏重)」が社会の中に広がりすぎた、とも言えます。