5者のコラム 「芸者」Vol.122

優しく愛情のこもった技術

手練手管という吉原言葉がありました。あの手この手で客をあしらい、時に冷たくし時には温かく対応することによって客を自分に夢中にさせる技術です。「上手にウソをつく」技術とも言えます。吉原の遊女は職業として客と接していました。その言葉は心から出ているものではなく手練手管です。遊女が本気で客を好きになってしまったら(己の心の真実を客に伝えるようになったら)悲惨な結末に終わることが少なくなかったのです。マーク・トウェインは嘘つきの技術に関し次のように述べています(「嘘つきの技術の退廃について」ちくま哲学の森1)。

子供とバカは常に真実を語る、という尊敬すべき格言をお考え下さい。言わんとするところは明らかであります。大人と賢い人は真実を語らないのです。(略)われわれは何人も習慣的に真実を語る人と生活を共にすることはできません。しかし、有り難いことに誰もその必要がありません。習慣的に真実を語る人というのは要するに不可能な生物なのです。そのような人は存在しませんし、かつて一度も存在したことはありませんでした。(略)私の考えるところでは作法にかなった嘘はすべて優しく愛情のこもった技術なのでありまして、これを養い育てなければなりません。(155頁)

彼特有の極端な言い方ではありますが全くの嘘ではなく何らかの<真実>を含んでいると言わなければなりません。末広厳太郎(民法学者)に「嘘の効用」という論文があります。大岡越前の裁き方を例にして「規範と事実の乖離」の意義を説くものです。世間には「裁判は真実を発見するためにある」と思い込んでいる人も多いのですが法律は「何が何でも真実を尊重する」わけではありません。法律家は大人であり賢い人です。法律家が用いる作法にかなった嘘は「優しく愛情のこもった技術」なのです。新人弁護士はこの技術を養い育てなければなりません。

5者

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