5者のコラム 「医者」Vol.48

ストレスの積極的な意義

ドストエフスキーは「地下室の手記」(新潮文庫)でこう述べています。

だが、くどいようだが、ぼくは百度でも繰り返して言いたい。たった一度、本当にたった一度かもしれないが、人間がわざと意識して自分のために有害な、愚かなこと、いや愚にも付かぬことを望む場合だって確かにあるのである。それも他でもない、自分のために愚にもつかぬことまで望めるという権利、自分のためには賢明なことしか望んではならないという義務に縛られずにする権利、それを確保したい、ただそれだけのために他ならないのだ。

有害な愚かなことを人間は欲してしまいます。バカなことを追い求めることにこそ「自由」があります。自由とストレスは背中あわせです。ストレスが全く存在しない社会は(自由が全く存在しない)逆ユートピアそのものなのです。中沢正夫医師は「ストレス『善玉』論」(岩波現代文庫)でこう述べています。「ストレスこそ子供を青年にし、青年を大人に成長させる糧であるはずである。 ストレスを1つ1つ乗り越えることが「人間」の発達なのである。(略)一切のストレスを回避すれば、それは楽であろうが、その人は成長もまた諦めることになるのである。ストレスは別の方向からみれば「他人からの期待」であり「他からの評価を落としたくない矜持」であり「自分の生き方を貫きたい意志」であるから、当然痛み・苦しみを伴うのである。」(20頁)
 「他人からの期待」や「他からの評価を落としたくない矜持」や「自分の生き方を貫きたい意志」は痛み・苦しみを伴うストレスの原因です。しかし、これらは幸福の原因でもあります。ストレスの原因を単純に無くそうとすると幸福も失くしてしまいます。ストレスと向き合うこと・ストレスを乗り越えることにこそ真の幸福に繋がる何かが存在します。依頼者のストレスと向きあう弁護士は自分自身のストレスとも上手に付き合ってゆく技術を持つべきです。

易者

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