法律コラム Vol.68

被害者側から見た素因減額

非典型後遺障害に関しては(交通事故と症状の相当因果関係が認められる場合でも)被告損保会社から素因減額の主張が出されることが多く被害者側は更なる主張立証を余儀なくされます。以下は某事案において被害者原告側で主張した書面です。

第1 素因減額概念の意義と問題点
 1 意義
 (1) 加害行為以外の考慮の可否に関する下級審実務
   昭和40年代まで加害行為以外の原因を考察する法形式は相当因果関係論における特別事情と予見可能性であった。しかし、これだけだと行為者の主観が重視され過ぎるので増大する交通事案の審理に相応しくないとして「部分的因果関係論」「確率的心証論」など実践で使いやすい法理の確立にむけて努力が続けられた。その結果定着したのが過失相殺の類推適用という考え方(帰責性を問わずに賠償額を減額するもの)である。因果関係の存否<あるかないか>(オールオアナッシング)ではなく因果関係の程度<どの程度あるか>(何%か)という数値化できる柔軟な考え方なので裁判官に使いやすく(裁量範囲が広い)他に損保会社にもウケが良かった(気楽に賠償額の減額を主張できる)。そのために、昭和50年代以降、かかる思考形式が急速に全国の下級審実務に定着することになった。これら下級審実務の根底にあったのは昭和40年代に散見された軽微事件の処理の困難さである。当たったか当たってないか判らないような軽微事故なのに長期治療を行っている事案に対し「因果関係が無い」と断言することに躊躇を覚える裁判官が「因果関係は微少である」という言明スタイルに変更することによって増大する交通事故賠償請求訴訟の審理を効率的に進めることが可能となったのである。傷害が無いのに保険金を請求する如き詐欺的事案に関し「損害なし」「因果関係なし」とする毅然とした判断をしていたのも事実であるが相当の証拠と決断を要する。
 (2) 最高裁判例の展開
 イ 心因的素因(昭和63年4月21日)
  この下級審実務を最高裁として初めて是認した。
 ロ 体質的素因(平成4年6月25日)
  素因の概念を体質にまで拡大した。「既に羅患していた疾患とがともに原因となって損害が発生した場合」という表現から部分的因果関係論の影響を感じる。
 ハ 事故後の自殺(平成5年9月9日) 
   自死事案(後遺障害等級14級・事故後3年6月経過)において「うつ病」という中間項を媒介概念に用い事案全体に関し相当因果関係を肯定しつつ賠償額の大幅減額をした(8割減額)。
 2 問題点
 (1) 総説
   以上のように今日損害賠償実務において「素因」という概念は広範に用いられており、それが被害者の救済に一定程度役に立っていたことは否定しない。しかしながら、現実の賠償現場において「素因」という<被害者に帰責性のない事情>にもとづいて安易に賠償額減額の材料として使われていることにつき消極的な見解も有力に存在しており、かような見解を意識してか、裁判所も素因減額概念に対する一定の歯止めをかけようとする方向性を強く打ち出すようになっている。
 (2) 心因的素因について
  東京地判平成元年9月7日(判時1342号83頁)をはじめとして被害者の心因的素因による減額を全く認めない判決が多数存在する(これらの判例は学説上「あるがまま」判決と評されている)。これらは前記最判昭和63年4月21日以降に多くなったものであり、被害者の素因を減額材料に使おうとする損保会社の安易な主張を明確に制限ないし拒絶する意義が認められる。学説上も肯定する見解が多い。その根拠には①素因の存在に被害者には帰責性がない②素因減額で構成された事案には実質的にみて因果関係の否定で割り切るべきだった事案が存在する③潜在していた素因を拡大・深化させたのはまさに加害者の行為である④加害者は保険で危険分散できるが被害者には出来ない⑤そもそも被害者が如何なる事情であるかは偶然性の要素が大きいのであり、被害者が特殊事情を抱えていたからとして加害者がこれを奇貨として利用するのは社会正義に反する、などがある。
 (3) 体質的素因について
  最高裁は平成8年10月29日判決で被害者が通常人と異なる身体的特徴を有していたとしても、それが疾患に当たらない場合には斟酌すべき事情と言えないと判示した(「あるがまま」判決による理論的批判を考慮したものと評される)。
 (4) 事故後の自殺について  
  最高裁は過労自殺に関し平成12年3月24日判決で過労と自殺との因果関係を肯定しつつ心因性を原因とする減額を全面否定した(「電通事件」)。心的要素が大きい自殺事案についてすら最高裁は素因減額を否定した。
第2 規範内容と適用基準
 1 規範内容
  添付している文献(東京3弁護士会交通事故処理委員会編「寄与度と非典型過失相殺」ぎょうせい)はこの問題に関する基本書であり、膨大な判例を分析・整理して実務法曹の利用に供されている。この文献では客観的事故状況との関係に最も中心的な分析視点を置いている。この問題は根本的には「相当因果関係」の射程範囲の問題であるところ、客観的な事故状況を無視して、これによる相当な治療の程度や後遺障害の中身を議論しても不毛だからである。この文献以外の諸書籍を精査しても、客観的な事故状況との兼ね合いを無視して分析を進めている文献は存在しなかった。特に「むちうち損傷」と総称される疾病に関し表明されている<賠償科学グループ>の見解はほぼ一貫して工学的アプローチを重視している。損保会社は「この程度の軽い事案ではこの病状は出るはずがない」という形式の論理を組み立てたがる。なのに、明白に強い衝撃を受けている事案で「これだけ強い衝撃を受けているのだからこういった症状が出るのは当然だ」という形式の論理を組み立てることは無い。結論が最初から恣意的なのである。裁判所は<恣意性のない中立的な思考>を進める必要がある。かかる前提にもとづき別紙文献の基準を考察する。
 2 適用基準(17頁)
 第Ⅰ類 傷害の部位・程度・事故内容から見て通常人であっても心因的影響を受けやすい状況にあると認められるもの(0%)
 第Ⅱ類 傷害の部位・程度・事故内容から見て通常人であれば心因的影響をあまり受けないと認められるが影響を受ける可能性も相当程認められるもの(0%)
 第Ⅲ類 傷害の部位・程度・事故内容が軽く、気質的な要因が相当程度加わっていると認められ、通常人では影響を受ける可能性がないとは言えないが極めて低いもの(20~40%)
 第Ⅳ類 通常であれば傷害を受けるような事故ではなく、受傷当初の傷害の程度が軽く(遅発性の疾病を除く)明らかに被害者の気質的性格的な要因の関与が認められ通常であれば考えられない程度の損害が発生したと見られるもの(30~50%)
 3 上記基準の意義
  一般に損保会社は事故態様が軽い場合には「この事故態様では損害は起こりえない」として写真・実況見分調書などで強調するのに事故態様が重い場合には一転して「この被害者にはうつ的傾向があった」などとして論点をすり替える傾向がある(ダブルスタンダード)。しかし訴訟で問題なのは事故と症状との相当因果関係なのだから客観的事故状況をまず重視すべきは当然である。事故によって通常想定される治療経過の場合には素因減額すべきではない。その事故状況では到底想定されない程の異常な治療経過である場合に限って素因減額を検討すべきである。
第3 本件事案の検討(略)
 
* 本件は裁判所から素因減額を考慮しない和解案(弁護士費用1割を加算)が出されたので和解によって終了しました。

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