法律コラム Vol.79

因果関係の意味・医学と法学

 「因果関係」という言葉は、医学と法学で異なる意味で使われています。自然科学に属する医学と社会科学に属する法学の存在意義の違いにもとづくものと言っても良いでしょう。

1 医学的因果関係
  自然科学に於ける因果関係は前提事実をA・帰結されるべき事実をBとすればA→Bが100%生じることが実験により検証されることを言う。それが疑わしい場合は統計学的表現としての確率で表現される。自然科学で最も重要なのは「将来の予測」である。この材料を使ったらどの程度の負荷に耐えられるのか・どのくらいの速度を得れば地球の引力を脱することが出来るか等、仮説が実験によって検証されなければならない。物理学を典型とする自然科学に於いてA→Bは「将来の予測」として、それが100%生じるという意味で議論される「事実命題」である。自然科学の1分野である医学に於いても言葉の意味は基本的に同じである。ただ人体には個体差があるのでA→Bが100%生じる命題は必ずしも確立出来ない。したがって医学の治験においては大量の観察データを統計学的に処理し、有意な命題が得られれば医学的な意味での有効性(因果関係)が認められている。医学に於いてA→Bは「将来の予測」として展望的(プロスペクティブ)に議論されているのである。
2 法学的因果関係
  社会科学に於ける因果関係はA→Bが100%生じることではない。社会的出来事は厳密な意味で「実験」が出来ない。社会科学に於ける因果関係は、ほとんどの場合、歴史的事実としてのBをふまえ、その原因たる事象Aを推測(評価)する試みである。未来がどうなるか誰も判っていなかったにもかかわらず、学者は特定の事象Aを本質として抽出しA→Bなる命題に洗練させてゆく。社会科学に於ける因果関係はA←Bという認識を逆に表現する「評価命題」である。社会科学の1分野である法学に於いても言葉の意味は基本的に同じである。法律実務に於ける因果関係は、歴史的事実としてのBをふまえ、その原因が疑われる事象Aに帰責させることが出来るか否かを議論するものである(Aが存在すれば100%Bが生じるか否かを議論するのではない)。法律家は悪しき結果Bを帰責させるべき事象Aとして抽出し、事後的にA→Bという命題に洗練させてゆく。法的な因果関係とはA←Bという探求作業を逆から(レトロスペクティブにA→Bとして)表現するものである。例えば「過労の後に自殺した」事案で因果関係が認められるという意味は「A→B」という命題が自然科学的に(100%)成立することではない。死という結果に関し「死を遺族だけが負わなければならないのか?過労させた企業にも責任があるのではないか?」という社会的評価を加えて回顧的(レトロスペクティブ)に「A→B」と表現するものなのである。

* 上記「自然科学的因果関係」の説明は(法学的因果関係を説明する方便として)簡略化し過ぎたところがあります。自然科学といえど「100%」の証明をすることは困難であって現時点に於いて「法則」「理論」として真実性が認められている命題も「現在のところ得られているデータ上は反証されていない」という意味で暫定的真実性が与えられている仮説だということを私が忘却しているわけではありません。ただ、訴訟の準備書面として「科学の不確実性」に言及すると議論が複雑になりすぎ、裁判官に与える単純明快な説得力を損うので訴訟においては割り切って単純な対立構造として描いています。法学的因果関係は上述のように回顧的・評価的な概念なので、「あるか・ないか」というオールオアナッシングではなく「どの程度あるか」という割合的な考え方も可能なのです。損害賠償請求訴訟における「素因減額」の考え方は<因果関係をゆるやかに考え被害者保護を可能にすることにより逆に加害者に酷な結果が生じないように>というバランスをとる法理として生まれてきたものです(2014年6月27日「素因減額」参照)。

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