法律コラム Vol.16

介護保険と損害賠償

健康な老人が交通事故により要介護認定を受けた場合に裁判所はいかなる基準で将来介護費用を算定すべきでしょうか?介護保険が適用されれば費用は自己負担(約1割)で済みます。そこで保険会社は「自己負担額のみで計算すべきだ」と主張します。これは正しいのでしょうか?

(一般的基準と判例)
 損益相殺に関して判例が定立している基準は①当該利益が損害の填補であることが明らかな場合には控除を認める(搭乗者傷害保険、生命保険、労災特別支給金等は控除されない)、②社会保険給付に付いては支給が既に確定しているもののみ控除を認める(未確定の遺族年金・障害基礎年金等は控除されない)、というものである。この基準に従えば未確定である将来の介護保険による給付を前提に賠償額を定めるのは相当ではないことになる(大阪地裁平成13年6月28日、札幌地裁平成13年8月23日・東京地裁平成15年8月28日)。「赤い本2004」の高取裁判官講演335頁以下では「現在既に介護保険の給付を受けている被害者についても将来分については当然に介護保険給付(予定額)を控除すると言うことにはならないのではないかと考えます」と解説されている。
(介護保険実務からの考察)
 介護保険の実務から言っても、将来分を控除する扱いには問題点が多い。第三者加害による要介護状態の費用負担は、介護保険よりも損害賠償保険が優先される。第三者行為や損害保険等の手続が為される前に市町村が介護保険でサービス給付をしていた場合その給付分が各保険から加害者(保険会社)に求償されることになる。この問題は保険会社にとっては実質的意味を持たない。保険会社が最終的に全額の負担をすべきことは自明である。要するに、この問題は①サービス給付分を含めて全額を被害者に支払い、事後の介護保険求償に応じない(被害者は介護保険を通さずに全額の介護費用を施設に支払う)のか、②被害者には自己負担部分のみを支払い、サービス給付分は介護保険給付を行った後の市町村からの求償に応じる方式で支払う(被害者は介護保険を通して自己負担部分のみを支払う)のかの差異でしかない。しかし、上記②は介護保険法の趣旨に反する。第三者加害による要介護状態の費用負担は介護保険よりも損害賠償保険が優先される。したがって介護保険法の趣旨から考えれば①をとるしかない。実際的にも②には問題が多い。現在、介護保険法は改正論議のまっただ中にあり(本年6月22日自己負担割合を引き上げる改正法成立近日中の再改正も検討中)自己負担部分の将来予測は全く立っていない。現在の負担割合が永遠に続くとの前提で計算される②は全く不合理である。そもそも介護保険は6ヶ月毎の認定を前提としており、受給はあくまで実際のサービスを受けた後というシステムを取っている。かかる観点で考えても上記②は成り立たない。
(損害賠償法理からの考察)
 理論的にも②に対しては以下の批判が妥当する。「もし本人負担部分だけが損害とすると介護保険給付から出る分については損害がないということになります。損害がないのに介護保険の被保険者が損害賠償請求権を代位取得できるわけがなく、したがって存在しないものを保険者が代位取得することも出来なくなり、結局介護保険給付を行った保険者は加害者から取り立てられないという結論になってしまいます」(交通法研究30号107頁)。よって理論的にも①が相当である。

* 福岡久留米支部は当方主張を認め、過去分は介護保険適用の下に自己負担分だけで計算をしたものの、将来分は介護保険を前提とせず全額での計算をしました(1月幾らという形の「定期金払い」)。原告被告の双方が控訴。福岡高裁は地裁判断の上で将来介護費用も一括払いとし弁護士費用1割を加算する和解案を示したため、和解が成立しました。過去の介護保険負担分は市役所が保険会社に求償し、将来分は被害者が介護保険を使わずに施設に支払うことになりました。
* この結論は理論上正当であるだけでなく保険財政上も不可欠です。介護保険給付をした市町村が加害者に求償しうることは介護保険の現場であまり意識されていません。この求償手続が為されないと本来加害者が負担すべき介護費用が国民全体の保険料で賄われてしまうのです。保険財政を健全に維持するためにも被害者代理人が自覚的に損害賠償請求を組み立てなければならないと思います。
* 令和2年7月9日、最高裁は3級高次脳機能障害を残す4歳児に関する後遺障害逸失利益と将来介護費用を定期金賠償により支払いを命ずることを是認しました(自保ジャーナル№2068・1)。論点は異なりますが、今後はこの判決をも意識して訴訟方針を考えることになります。

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