久留米版徒然草 Vol.14

笑われながらも稽古を続ける

訴訟手続の電子化で悪戦苦闘していたとき。哀しい気分になる時もありましたが、次の兼好法師の教えを心に留め「笑われながらも稽古を続けて電子化に習熟したい」と頑張りました。

能をつかんとする人「よくせざらむほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらむこそ、いと心にくからめ」と常にいふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、そしり笑はるゝにも恥ぢず、つれなくて過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜(たしな)まざるよりは、終に上手の位にいたり、徳たけ人に許されて、ならびなき名を得ることなり。(第150段)

自分の「心の支えとなるべき古典」を有していることは有り難いことですね。
*上記引用文の大意は以下のとおりです。
「笑われないように上手くなってから他人に披露しよう」などと思っている人の芸が大成することはない。生まれつきの才能がなくても、下手なうちから上手の人に交わって笑われながらも長年稽古を続ければ(器用だけど稽古しない人より上手になって)ついには徳の高い名人になれる。

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