久留米版徒然草 Vol.53

チンタオと久留米

1914年に(後に「第1次世界大戦」の一部とされる)日独戦争で青島(チンタオ)のドイツ軍守備隊が日本軍に降伏した日。この主力部隊が久留米の第18師団です。この戦闘を縁に久留米と青島には人的交流がありました。「上を向いて歩こう」の作曲者中村八大さんは青島生まれです。以下wikiより引用。<1931年、青島にて誕生。父親は青島の日本人学校で校長を務めており自宅にはピアノや蓄音機などがある恵まれた環境であった。父の勧めで1940年春小学4年生に進級すると同時に日本へ単身留学。新宿国民学校へ転校。東京音楽学校(東京芸術大学)の附属児童学園に通いピアノと作曲の教育を受ける。しかし技術習得を重視する教育方針に疑問を抱きレッスンをさぼって新宿浅草などの劇場に通った。1941年末に戦争が始まると1942年に東京は空襲に見舞われるようになり、1943年青島へ引き揚げた。1945年父母の郷里である久留米へ一家で引き揚げ終戦を迎える。中村は旧制中学明善校(明善高等学校)で音楽部を結成、活動に打ち込む。進駐軍とともに米国音楽が流れこんできた時代で、中村は自作の鉱石ラジオで進駐軍向けのラジオ放送を聴いたり、自宅近くの米軍クラブで披露される演奏を漏れ聞くなど米国音楽をむさぼるように聞いていた。

ドイツ兵俘虜収容所1

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