久留米版徒然草 Vol.74

とんちの一休さん?

現在の「一休さん」のイメージ(漫画の原型)は江戸時代の創作ですが、実在した名僧一休宗純が面白かったのは事実。将軍足利義教の政所から「世法とは如何?」と問われたとき一休さんはこう答えました(紀野一義「名僧列伝1」講談社学術文庫)。「世の中は 食うて糞して寝て起きて さてその後は  死ぬるばかりよ」 人を食った答え方ですが「真実」を含んでいるところが鋭い。
(以下FB友と議論)
1 次の逸話もある。ある人が一休さんに「1つめでたい言葉を書いて頂きたい」とお願いした。一休さんは筆を取ると「親死ぬ・子死ぬ・孫死ぬ」と書いた。その人はそれを見て「めでたい言葉をお願いしたのですが、これではあんまりでございます。もう一度お願いします。」と言った。すると一休さんは「孫死ぬ・子死ぬ・親死ぬ」と書いた。「なおさら嫌でございます。めっそうもない」とその人がつぶやくと、一休さんは「親が先に死んで、その子が親になって死に、その孫が親になって死んでいく。即ち年をとったものから死んでいく。それが一番めでたいことではないか。逆に、可愛い孫が先に死んだらどうか。命の順番どおりに逝くことが一番めでたいのだ。」と叱りつけた。
2 『仏説阿弥陀経』に「従是西方過十万億仏土」と説かれているのを見た一休さんが「極楽は十万億土と説くならば 足腰立たぬ 婆は行けまじ」(極楽がそれほど遠いところだと言うなら足腰も立たないようなお年寄りにはとても行けないではないか)と詠んだのに対し、蓮如は「極楽は 十万億土と説くなれど近道すれば 南無のひと声」(極楽は遠いと言われているけれど南無阿弥陀仏と念仏一つ称えれば行ける近道があるのだ)と返している。高僧同士のしゃれた関係。
3 こんな話もある。蓮如が出かけている間に一休が遊びにやって来た。留守を待つのも退屈だった一休は須弥壇からご本尊である阿弥陀の木像を下ろしそれを枕に昼寝をしていた。そこへ帰って来た蓮如が笑いながら一言。「こら!ワシの米びつ(商売道具)を枕にするとは何事じゃ!」
4 次の逸話もある。ある大路にどこから見てもグネグネに曲がった松があった。そこに一休が立て札を立てた。「この松をまっすぐに見た者には金1貫文やる。一休」この道を通る村人や旅人が立ち止る。金ほしさに「どこから見たら真っ直ぐに松が見れるのか」下から覗き込んだり梯子をもってきて上から覗いたりしたが、どこから見ても真っ直ぐには見ることができなかった。そこに蓮如上人がお通りになった。この立て札を見られるなり「一休も面白いことをしておる。ワシはもう真っ直ぐに見たから1貫文を貰ってくるか」と一休の元へ行った。「オイ、わしじゃ、蓮如じゃ」と一休の寺に行って蓮如上人が一休を呼ばれると「蓮如か、何をしにきたのじゃ」「その松、真っ直ぐに見てきたから1貫文よこせ」と言った。一休さんは「ああ、お前にゃやらん」「なぜ俺にはくれないのか」「あの立て札の後ろは見なかったのか?」蓮如は立て札の後ろまでは見ていなかった。戻って裏を見るとそこには「ただし本願寺の蓮如は除く」と書かれてあった。

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