歴史散歩 Vol.141

歴史コラム(受験勉強と歴史散歩)

私は中学2年生のときアマチュア無線の資格をとった理系少年でした。高校では無線部に入っています。高校3年生時の進学振り分けで理科系クラスに入り、理工系への進学を考えていました。理科系なので「数学が好き・国語が大嫌い」でした。特に現代国語の「作者は何を言いたいのか?」なる類の問いに「そんなもの作者以外に判るか!」という感想を抱くひねくれた少年でした。受験で問われるのは「作問者が何を聞きたいのか?」だけであって「筆者の真意」ではありません。現在はその差異が判ります。けれども18才の自分には判っていませんでした。それを教えてくれる優秀な国語教師に高校生時代の私はついに出逢えなかった、と少し嫌味を言いたくもあります(笑)。

理科系なので共通1次の社会は政経・倫社を選択しました。が、共通1次試験の制度改変により政経倫社ミックスが許されなくなりました。地理歴史と比較しての負担が小さすぎて「受験生間の公平性に反する」という議論が強くなったためです。そこで私は社会を倫社・地理に変更しました(日本史・世界史は教科書の分厚さに嫌気がさして全く検討対象になりませんでした)。このときの地理の勉強で<地図の歴史や地形の成り立ち>を学んだことはその後の世界観に影響を与えています(それ以上に、私は倫理社会の勉強で思想史に惹かれ社会学部で哲学を学んだのです)。現役時代の共通1次理科は物理・化学でしたが物理に限界を感じ浪人後は化学・地学に変えました。この地学で<宇宙や地球の成り立ち>を学んだことも事後の世界観に影響を与えています。

学部では大学院を意識して勉強しましたが、哲学の才もないし飯も食えないので生活のために司法試験の勉強を始めました。合格後判ったことは法律学が「国語」的分野ではなく「数学」に近い分野だということです。私が今の仕事をできているのは幸運な偶然によるものです。何とか弁護士の仕事を続け、県弁副会長の仕事が一段落した頃から私は「久留米郷土研究会」というグループに属し、まち歩きの楽しさに触れました。そこで初めて判ってきたことは、まち歩きをちゃんと楽しむためには「地理・地学」の感覚が不可欠だということ。歴史の知識は後で付け加えていくことで何とかなるんですけど「地理・地学」の感覚は若い頃に接しているのと接していないのでは散歩に際しての親しみが違います。私は浪人時代に「文系の地理・理系の地学」に多少触れていたおかげで難なく<歴史散歩の世界>に入ることができたように思っています。ホント、人生って良く判りませんね。

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