5者のコラム 「医者」Vol.31

自然治癒力の意義

ヒポクラテスは次のように述べます(「古い医術について」岩波文庫)。

ところで私の論敵はこう言うであろう、病気になったとき医者にかからなくても回復した人が現にたくさんあるではないか、と。これには私も同意見である。しかし、医者にかからないでも偶然医術的に成功することはあり得るのであって、それは正・誤を知っているためではなく、もし医者にかかったとしても受けただろうと同様の自家治療を偶然に用いたからである。

弁護士に依頼しなくとも裁判に勝つ人は存在します。弁護士に依頼せず裁判に勝った人は弁護士に依頼していたら行われたであろう訴訟行為を行ったからだと考えられます。裁判官の強力な訴訟指揮権の発動により職権的に救ってもらった事例が多いのではないかと感じます。裁判官は弁護士が付いているか否かで結論が変わるという事態をよしとしない傾向があるからです。「自分の力だけで裁判に勝った」と思う人が増えたら困ってしまいます。ヒポクラテスは人間の自然治癒力を重視した人ですが、自然治癒力を発揮するためには、一定の環境確保が必須です。適切な環境確保のできないところでは、人間の自然治癒力は病気の力に圧倒され病状を悪化させるだけです。自然治癒力を過信するのは困ります。被告側の勝訴とは原告の請求が棄却されることです。それ自体で経済的利益を生み出すものではありません。そのため、更なる出費(成功報酬)を厭う人が少なくありません。かような人は「この事案は元々勝つべき事案であり弁護士に依頼しなくても請求自体が無理だった」という見方をしがちです。弁護士に依頼していなければ結果がどうなっていたかという想像力をもたないのです。弁護士にとって依頼者と対立することは辛いことです。かかる事態の後では弁護士が報酬請求を断念せざるを得ないこともあります。そのため被告側で受任する場合、最初にある程度の着手金を受領しておかないと危ないと言われているのでしょう。

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