5者のコラム 「5者」Vol.169

死化粧が少し上手になった

行き当たりばったりで個々的に書き連ねてきたコラムですが、多少は「体系的見地」を考えていたことがあります。コラム終了を前にして少し振り返ってみますね。
 出発点になっていたのは大学の卒業論文です。学者を志したこともある人間だったはずなのに司法試験の受験勉強と重なったため、私はまともな卒論を書くことが出来ませんでした。「実践哲学と法的議論」と題された私の書き物は論文と言うには全く遠いシロモノでした。このコラムを執筆している中で思い知らされたことは「自分がいかに学者的能力に欠けているか」という点です。これは実務家の仕事を続ける中で確信になり現在に繋がっています。しかし(我妻博士の言葉を援用して表現すると)自分の中で「若くして死んだ不具の子の葬式を出す親の気持ち」を否定できない(学者5)。受験勉強の中で上手く表現できなかった自分の構想の如きもの(哲学と法律実務との架橋)を実際に仕事をしていく中で表現したいという気持ちを抑えきれなくなりました。法律家を実際に動かしている規範は法律ではない(5者15)世間と折り合いを付ける(5者17)法律実務はその体系内では基礎づけることが出来ない(5者35)リーガルマインドへの挑戦Ⅲを書きたい(5者85)世間で営まれている実践にリスペクトを払い法律実務に生かしていく(5者99)。これらを学生時代に全て理解していたわけでは当然ありませんが、少しばかり何かそれに近い触感を得ていたことも事実なのです。自分はこれらの触感に何らかの形を与えたかった。形を与えれば、後はその形に添って各論的議論を積み重ねれば良いだけだからです。この形を法律家的に「構成」と言い換えてみても良いでしょう。学生時代に死んだ「実践哲学と法的議論」という構成意図は大学を出て数十年を重ねた私の中で密かに成長を続けていたようです。このコラムを書くようになって私は我が子の葬式を出す親の気持ちが少し分かるようになりました。死化粧も少し上手になったようです。

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