5者のコラム 「易者」Vol.32

不浄なモノと大金・尊敬性と被差別性

多くの映画賞に輝いた「おくりびと」(滝田洋二郎監督)は日本人の死生観を内外に知らしめた秀作です。本木雅弘氏はもちろん脇を固めるベテラン俳優陣の演技も絶妙で日本映画の可能性を感じさせる作品でした。伊丹十三監督が「お葬式」で用いた生(性)と死・聖と俗という深遠なテーマを笑いと共に観客に提供する手法が上手に受け継がれており普段は映画館に行かない老人や主婦をも映画館に向かわせました。この映画で私が共感を寄せたのは納棺師という職業が帯びる「尊敬性と被差別性」という両極端な属性であり、この映画で最も印象的な場面は死出の旅に出る者の姿を整える納棺師の所作の美しさです。本木氏は納棺師を演じるために納棺の場に足を運び何度も何度も練習を繰り返したと言います。そのせいか、本木氏の所作は茶道のお点前のような形式美に満ちあふれています(茶道は戦の前に死を意識して茶を頂く武士の所作から始められました)。映画の評論でも本木氏演じる納棺師の所作の美しさを絶賛する声が満ちあふれています。他方、次のような場面も印象に残ります。夫の仕事が納棺師であることを知った妻は「触わらないで」と言い放ち、仕事を辞めるよう真剣に夫に迫ります。友人は「皆の噂になっているぞ」と主人公に告げます。もともと本木氏演じる主人公がこの仕事についたのは詐欺のような広告に引っかかったからでした。山崎努演じる社長は高額所得を得ていることが示唆されています。不浄に接して大金を得るという属性は差別される典型的な姿です。これまで弁護士が相応の社会的地位を有する者として認知されてきた背景には難関の司法試験制度がありました。かかる前提が崩れ弁護士間の広告合戦という下品な様相が現れるようになれば「不浄なものに接して大金を得る」という属性が強調されるのではないかと私は感じます。差別的嘲笑の対象として弁護士が取り上げられる日は近いのかもしれません。

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