法律コラム Vol.25

離婚前の面会交流

 離婚前の別居中の夫婦において、非監護者たる親が子供との交流を望む場合に裁判所はいかなる判断をすべきなのか?かような場面における面接交渉(現在は「面会交流」という)について、私が平成12年に最高裁の新判例を得た事案の抗告理由書の一部です。(大脇弁護士との共同)

1 問題の所在
 家事審判法は審判事項を列挙しており、家庭裁判所は列挙された事項以外について審判する権限を有しない。すなわち家事審判法9条は制限列挙である(この点は学説上争いがない。山木戸23頁、注解家事審判法改訂版119頁)。
 「離婚後」の監護者でない親からの面接交渉申立について当初これを否定する審判が支配的であった。しかし子に関する離婚後の紛争を解決する必要性が次第に実務家の間に浸透してゆき家庭裁判所も離婚後の面接交渉の申立に限りこれを審判事項に取り込む流れが現れるようになった(東京家裁昭和39年12月14日審判等)。高等裁判所は当初かかる流れに否定的であった。面接交渉権は法律上の権利ではなく家事審判法9条にも掲げられていないから当事者間の協議又は家事調停において定められるべきもので家事審判で判断すべき事項ではないとしたのである(大阪高決昭和43年8月14日)。が、離婚後は(婚姻中の両親の親権の衝突の問題が生じないので)面接交渉の必要性が純粋な形で現れるためか、高裁でも家裁の審判を是認する決定が続出するようになった。最高裁がかかる取扱いを是認し(最判昭和59年7月6日)「離婚後」の面接交渉の問題については決着が付いたといって良い。では「離婚前」の面接交渉についてはどうであろうか?この問題について判例学説は全く固まっていない。最新の重要判例である高松高裁平成4年8月7日決定は消極説を明らかにしており、当職らの見る限り、本決定を覆す裁判所の判断は未だ無い。これを検討するには離婚後の面接交渉権をどう考えるかが前提として不可欠である。よって以下、まず離婚後の面接交渉権の意義を検討し、これをふまえて離婚前の面接交渉権の有無ないし内容を論じることにする。
2 離婚後の面接交渉権の意義
 民法上面接交渉権を直接定めた条文は存在しない。民法776条にいう「監護について必要な事項」に読み込むことが出来るに過ぎない。ただ面接交渉「権」については、子の父母に対する忠誠葛藤を生じさせ監護者と親の継続的で安定した親子関係の形成や維持を妨害し子の利益を損なうおそれがあるから面接が任意で行われる場合は別として権利として強制されるべきものではないとして権利性を否定する考え方もある(梶村太市「子のための面接交渉」ケース研究153号88頁以下)。「権利」性を認める見解においても、その法的性質をどう理解するかは論者により様々である(詳細は「現代裁判法体系10親族」260頁)。①自然権説:親権・監護権の一部であるとする②監護に関連する権利であるとする説③自然権であり子の監護に関連する権利であるとする説④子の権利であるとする説⑤親の権利であると同時に子の権利であるとする説など。実務上固まってきた「離婚後」の面接交渉権についてすら見解の対立がある。かかる見解の対立は「離婚前」の面接交渉の理解に多大の影響を与える。この問題は単なる学術的な問題ではなく、実務上の結果に差異をもたらす実益のある議論である。しかるに離婚後の面接交渉権について自然権と構成する見解は(学問的見解としては格別)実務家が依拠する規範として採用できない。実務が依って立つ基盤は実定法になければならない。親権と別個独立に面接交渉権が存在するわけではない。面接交渉権は離婚後に親権を喪失した親が取得するものであり、親権者たる親には観念できないものである。
3 離婚前の面接交渉の審判の意味
 高松高裁平成4年8月7日決定は以下のように述べている。
 両親が婚姻中にあっては、それぞれの親は親権を有し、子に対する面接は当然親権の中に包摂され、親権とは別個に親の権利としての面接交渉権が存在するわけではない(面接交渉権は、親権者でない親に認められる権利である)から、親権とは別個独立の面接交渉権の行使として他方の親権者との調整を求めることはできないと言うべきである。前示民法および家事審判法の各法条は婚姻中の夫婦が事実上離婚状態にあることでは準用ないし類推適用が認められるわけではない。
 上記決定は理論的に明快である。面接交渉権は離婚後に非親権者の親に解釈上認められるにすぎないものであって離婚前に存在するものではない。離婚前は「親権の衝突」があるにすぎない。離婚前の面接交渉の申立は「親権の衝突の調整」を求めていることになる。では家事審判法9条は「親権の衝突の調整」を家庭裁判所の権限としているであろうか?否である。これはまさに「親権者間の子の福祉を第1にした自主的解決にまつべきもの」であって裁判所が権力的に介入すべきものではない。離婚「後」の面接交渉権について、そもそも権利性を否定する説や存在するとしても子の権利にすぎないとする説は、実質的には面接交渉が「子の福祉を第1にした自主的解決にまつべきもの」とする点で趣旨を同じくする。(以下は略)

* 最高裁は平成12年5月1日、離婚前の別居状態にある父母間で協議が整わないときは民法766条を類推適用し家事審判法9条1項乙類4号により相当な処分を命じることが出来ると判示しました。多くの判例評釈に取り上げられました(「家族法判例百選」第7版・№42)。
* 評釈で取り上げられていない点を補足。「主文の書き方」の問題です。
 この事案の原々審(福岡家裁久留米支部)の主文は以下のとおりです。「1申立人と事件本人との面接交渉について次のとおり定める。回数(略)・日時(略)・方法(略)2相手方は申立人に対し第1項所定の面接開始時に相手方宅で事件本人を申立人に 引き渡し事件本人を申立人と面接させよ。3 申立人は相手方に対し第1項所定の面接終了時に相手方宅で事件本人を相手方に引き渡せ。」これに対し原審(福岡高裁)は次のように主文を変更させました。「1抗告人は相手方に対し、毎月*回、第1*曜日(ただし事件本人に差し支えがあるときは抗告人と相手方が協議して定めたこれに代わる日)の午後*時から午後*時まで相手方が住居その他適当な場所において、事件本人と面接することを許さなければならない。」主文の変更の問題は判例評釈で触れられていませんが、実務的に極めて重要です。この主文が履行されなかったとき(任意の面接交渉に応じなかったとき)申立人はいかなる手段を執り得るのでしょうか?直接強制?間接強制?不履行による損害賠償請求?(上記主文では直接強制も間接強制も出来ないのでは?)
* 上記主文の性質をふまえて梶村太市氏は次のようにコメントしています。「これまで多くの学説や審判例はあたかも面接交渉が親の自然権だとか監護に関連する権利だなどとして面接交渉を求める請求権であるかのように解していましたが、そうではないことが明らかになりました。したがって離婚調停において、親の子に対する面接交渉は権利であり、その面接交渉権とは親権者または監護者として自ら実際に子の監護教育をしていない親が、その子と個人的に面接したり文通したり交渉する権利であると説明することはミスリードとなりますので注意が必要です。」(梶村太市「離婚調停ガイドブック」第3版日本加除出版179頁)
* 平成23年の民法等の一部を改正する法律は「父母が協議上の離婚をするときは子の監護をすべき者・父又は母と子との面会及びその他の交流・子の監護に要する費用の分担、その他の子の監護について必要な事項はその協議で定める」との明文規定を設けました(766条1項)。同条項後段に「この場合においては子の利益を最も優先して考慮しなければならない」との文言が付加されています。協議できないときは家庭裁判所が審判により面会交流の内容を定めます(同条2項)。
* 平成25年3月28日、最高裁は相手が面会交流を定める審判に従わない場合に間接強制を認める決定を下した札幌家裁・札幌高裁の判断を是認しました。
* 平成29年4月、兵庫県で離婚後の面会交流中だった父親が長女(4歳)を殺し自殺する事件(無理心中)が発生しました。本年1月には長崎県で面会交流中に子を元夫に預けた女性が殺害されています。この問題に詳しい斉藤秀樹弁護士は「現在の家裁実務では仮に同居親が不安感を申告しても過小評価され面会が強要される・家裁は同居時の状況もあわせ慎重に判断すべき」と警鐘を鳴らされています。棚村政行早稲田大学教授(家族法)は「面会交流実施が当たり前という風潮そのものが原因になった可能性もある」と指摘されています。面会交流の意義(メリット)だけではなく問題点(危険性)にも配慮すべきものと考えます。家庭裁判所は「家裁自身の責任」も含め「面会交流に誰が如何なる責任を持つのか」もう少し真剣に(具体的に・技術的に)考えるべきです。
*町村泰貴教授のブログから引用。
 子の引渡しの審判に基づく間接強制が過酷執行として許されないとされた事例(最決平成31年4月26日)。平成最後の最高裁決定(の1つ)は家事審判に基づいて子の引渡しの強制執行をしようとしたところ、直接執行においては子が泣いて拒み、呼吸困難になるなどの状況で執行不能となり、人身保護請求においても被拘束者たる子が拒絶の意思を示して請求棄却となったという場合に、間接強制決定を求めることが過酷執行として権利濫用となり、許されないとした事例である。間接強制は強制執行段階であるから、本案の問題である子の引き渡し義務の存否を再検討することは通常できない。にもかかわらず上記のような経緯の下で間接強制決定を否定したことは注目に値する。間接強制段階では債務名義となった審判の内容を再検討しないことは一般的理解であるとともに最高裁判例においても認められている。面会交流の事案であるが次のような例がある。最決平成25年3月28日(平成24年許48号)。これは同日付で面会交流に間接強制が可能かを判示した4件のうち、間接強制を認めた事例であり、子が面会交流を拒んでいるという事情のもとで以下のように判示した。子の面会交流に係る審判は,子の心情等を踏まえた上でされているといえる。したがって,監護親に対し非監護親が子と面会交流をすることを許さなければならないと命ずる審判がされた場合,子が非監護親との面会交流を拒絶する意思を示していることは,これをもって,上記審判時とは異なる状況が生じたといえるときは上記審判に係る面会交流を禁止し,又は面会交流についての新たな条項を定めるための調停や審判を申し立てる理由となり得ることなどは格別,上記審判に基づく間接強制決定をすることを妨げる理由となるものではない。

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