法律コラム Vol.7

医療過誤における因果関係と損害

 患者に重篤な疾患があり、これに医療機関側の過失が重畳的に作用して結果(特に死亡)が発生した場合に因果関係と損害をどう判断すべきなのか?ある医療過誤訴訟の中で抽象論として述べたものです(小林洋二弁護士との共同)。

 医療過誤法において「因果関係」と「損害」の理解が進んだのは最近のことである。例えば殺人事件で「自分が殺していなかったとしても被害者は何時かは死んでいたのだから因果関係がない」という非常識な主張が出るわけはない。しかし医療過誤においては「仮に過失が無くても結果は発生したのだから因果関係はない」という論法が多く見受けられた。確かに殺人事件と医療過誤(民事事件)は判断の場面が異なる。前者は有罪・無罪又は既遂・未遂の白か黒かの判断である。かかる場面では前述の論法の非常識性が際だつ。ところが後者は結論的に金額の問題になる。そのため「偶発的な過失により健常者と全く同額の賠償額が認められるのはおかしい」という感覚が生じ、その感覚が肥大化して「そもそも因果関係がない。そもそも損害はない。」という医療機関の主張に結びついてきたのだと思われる。以下、因果関係と損害の概念の展開を(判例を整理しつつ)具体的に議論する。被害者に一定の重篤な疾患があり・医療機関の過失が重畳的に作用して結果が生じた場合の判断は「因果関係論から損害論へ」重点が変わってきた。因果関係判断を医学論争ではなく訴訟上の主張立証責任の問題として実質化する方向にある。
1 因果関係を否定するもの
 ① 福岡地判昭和52年3月29日(判時868・90)。
   因果関係を否定し慰謝料100万円を認容した(期待権侵害を理由に)。
 ② 東京高判昭和58年6月15日(判時1082・56)。
   因果関係を否定し慰謝料250万円を認容した(延命利益の侵害を理由に)
 この1の系列の裁判例は因果関係における「結果」を「いずれ発生したであろう結果」と抽象的にとらえ、かかる結果発生に向けた因果経過が過失行為の前に既に生じている以上、医師の過失行為があっても結果発生に対する具体的な寄与は無いと即断する。しかし、殺人の例で指摘したとおり、ある違法行為があった場合に「いずれ結果は発生していた」という論法が認められるならば(人はいつか死ぬのだから)多くの場合に因果関係が否定されるという非常識な結論を導く。特に不作為型の医療過誤は成立しなくなる。そもそも医療過誤法において問題となる「結果」とは適正な医療が行われていても生じたであろう結果ではない。近代法において医師の負う責任は結果に対する責任ではなくベストのプロセスを提供する責任である(中世においては医療契約とは請負であり結果に対する責任であった。児玉善仁著「病気の誕生・近代医療の起源」平凡社選書15頁以下参照)。医療過誤法における「結果」とは「人はいつかは死ぬ」といった抽象的な意味での結果ではないし因果関係論はかかる意味での医療行為と結果との関係を議論しているのでもない。医療において患者は疾患を抱えて(放置すれば結果が拡大する状態で)病院を訪れているのである。他方、医学は万能ではない。よって医師がベストの医療プロセスを提供しても生じる「結果」は法的に許容される。医療過誤法において法的意味がある因果関係とは、当該場面において生じた個別具体的な悪しき「結果」(ベストの医療が施されていれば生じなかったであろう結果)と問題のある「行為」との繋がりである。1の判例群は医療過誤法における「結果」と「因果関係」の把握に致命的な欠陥があったのである。
2 因果関係を肯定するもの
① 大阪高判昭和61年3月27日(判時1220・80)
   適切な治療があれば結果は防げたとして因果関係を肯定した。
② 大阪高判平成8年9月2日(判タ940・237)
   死因が特定できないので因果関係は不明との医師の主張に対し適切な治療があれば結果は防げた(救命可能性があった)として因果関係を肯定した。
③ 最判平成11年2月25日(判時1668・60)
  肝癌見落としにつき、医師の過失による診療行為の懈怠の場合、その診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点において尚生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性が証明されれば、その後の生存期間が不明であっても医師の不作為と患者の死亡との間に因果関係は肯定されるとし「患者がその時点の後いかほどの期間生存し得たかは主に得べかりし利益その他の損害の算定に当たって考慮されるべき事由であり前記因果関係の存否に関する判断を直ちに左右するものではない」と判示した。これが現在のリーデイング判例である。(この延長線上に「相当程度の可能性」理論と称される最高裁判例が存在する。最判平成12年9月22日・同平成15年11月11日等)。
④ 大阪高判平成16年1月16日
   患者が死亡時点において尚生存していた「相当程度の可能性」が証明される場合、医師は不法行為責任を負う(最判平成12年9月22日)ところ医師に過失があった場合は上記可能性の存在が事実上推認され、医師側で上記可能性が存在しなかった事実を主張立証すべきであると判示した。
 これら2の系列の裁判例は「結果」を「当該事案で具体的に(即ち特定の日に特定の場所で)発生した結果」としてとらえる。そして「その診療行為を行っていたならば患者がその死亡の時点において尚生存していたであろうことを是認しうる高度の蓋然性」や「患者が死亡時点において尚生存していた相当程度の可能性」という媒介概念を援用することで医師側に因果関係不存在の主張立証責任を負わせる。今日の医療過誤法における「結果」や「因果関係」はかかる文脈で理解される。

* 平成17年12月8日に長文の最高裁判例が出て(補足意見2名・反対意見2名)医療過誤における因果関係と損害を巡る議論はますます複雑怪奇となっています。議論状況として判例時報1905号3頁(塩崎勤論文)を参照してください。

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