法律コラム Vol.73

交通事故後の拡大損害と医療水準

民法上の損害賠償責任は行為から通常生ずべき損害の賠償にとどまります。交通事故による治療が絡む場合、賠償すべき治療範囲は医師が通常の医療水準に従って行われた医療行為に限られます。医療水準にみたない医療行為が行われ損害が拡大した場合に加害者は責任を負いません。以下は拡大損害を含めた全治療期間を基準に契約者(被害者)に保険給付した損保が原告となり加害運転者に提起した求償金請求訴訟(請求額約732万円)で論じたものです。事案は被害者の不摂生と医師の過失により「約1週間の加療を要する打撲」が「肩関節脱臼と腱板断裂」(症状固定日は事故の21ヶ月後)に拡大したというものです。福岡地裁八女支部は事故と拡大損害の相当因果関係を肯定する主治医供述を根拠に約359万円の支払を命じたので、当職は「事故と本件拡大損害に相当因果関係は無い」として福岡高裁に控訴しました。以下に挙げるのは控訴理由書の一部です(若干補正)。

第1 肩の治療に関する医学的規範
 1 肩関節の構造と特徴
   人類の進化途上において肩関節は(上肢を自由に使うために)骨性の安定性を破棄し、代わりにより大きな可動性と運動性を獲得した。その結果として肩関節は靱帯・筋肉・腱などにより支持され、複雑な機構により運動が成立している。運動性と安定性を両立させ肩の機能維持に重要な役割を果たしているのが靱帯および軟部組織である。肩甲帯および上肢は胸鎖関節でのみ体幹と直接に連結され、関節の安定性は多くの靱帯・筋によってもたらされるという特徴がある。関節窩は骨頭に対し不釣り合いに小さく、安定性は軟部組織に依存しているため、6大関節中で最も脱臼が多い。肩関節は人体のすべての関節の中で最も脱臼を生じやすい関節であり、肩関節外転・外旋伸展位で前方へ脱臼する場合が多く、治療上重要となるのは脱臼に合併する骨折・腋窩神経麻痺である。特に壮年から高齢者においては腱板断裂の合併の有無・若年層においては下関節上腕靱帯損傷の合併の有無がその予後に影響するため、合併症の診断と治療が特に重要となる。
 2 病理
 (1)基本概念
① 打撲 鈍的外力により、皮下組織など深部の組織が圧挫される閉鎖性損傷。
② 捻挫 関節固有の生理的可動域を超える運動が強制され関節包や靱帯が損傷を受けたもの。
③ 脱臼 関節面が正常な可動域を超えて接触を失った場合。
 (2)肩腱板損傷の概念
   中年以降になると腱板は退行性変化を起こし損傷しやすくなる。いわゆる「五十肩」と言われる病態は腱板断裂を含む。断裂の原因は腱板変性と反復外力(腱板と関節窩との間に生じる関節内衝突と腱板と肩峰の間に生じる関節外衝突がある)が関与して発症すると考えられている。
 3 検査方法
 (1)単純X線撮影
    正確な方向のX線撮影により骨折がないことを確定診断する。
 (2)磁気共鳴画像(MRI)
    MRIの原理は、生体に変動磁場を作用させ生体組織を構成する物質の水素原子核の共鳴する状態を画像に表示するものである。脊椎・脊髄疾患では単純X線撮影の次に選択すべき検査である。骨髄・軟骨・腱・靱帯・脂肪なども抽出されるので、骨壊死・関節炎軟骨靱帯損傷・腱断裂・骨・軟部腫瘍など広範な疾患の診断にきわめて有用である。脱臼整復後は、若年者ではMRIを行い、Bankart lesion Hill-Sachs lesionの有無を確認する。壮年・高齢者は超音波検査・MRIなど用いて腱板断裂の有無を診断する。MRIの出現により、腱板をはじめ肩関節の構成軟部組織の診断は飛躍的に進歩している。特に近年の高解像MRIを使うと腱板全層断裂は95%まで診断可能である。腱板断裂肩では断裂の部位・形態等が判定可能である。
 4 治療法
  RICE(rest局所の安静・ice冷却・compression圧迫・elevation挙上)の原則にのっとり治療する。安静は基も根源的で重要な治療法である。生体が備えている自然治癒力を最大限に発揮させるためには一定期間の全身あるいは患部の安静が必須である。安静療法には段階と種類がある。例えば全身的な安静では、入院・自宅での臥床・休業・休学などの段階がある。安静の種類としては原因となる運動の禁止・体幹や関節に対してギプス(プラスチック)包帯・シーネ・各種装具による局所的固定などがある。手指は福子を用いて、足関節・手関節などは通常弾性包帯固定で、3週間局所の安静を図る。足関節手関節の重症例では関節の不安定性が後遺しないよう、多少過治療でも初期6週はギプス固定を行う。その後に可動域訓練を開始する。固定中もできる限り筋肉強化に努める。固定している以外の部分は積極的に動かすことを指導する。 廃用disuse による筋力低下・心肺機能低下・関節拘縮・褥瘡などを予防・治療するためベッド上安静期間であっても出来る限り早期から、起座位、車椅子乗車・立位訓練・トイレにおける排泄などを開始する。ギプス包帯による関節固定中の筋萎縮・筋力低下を防ぐために等張性筋収縮を6秒間以上行うよう指導する。 
 5 原判決の問題点
   原判決には肩関係の治療に関する医学規範的な観点が欠落している。なかでもMRIの不実施に関する考察がゼロであることに驚く。控訴人が争点化していることを無視している。*病院にはMRIが設置されており、実施は極めて容易だったにも拘わらずである。
第2 本件診療経過の意味
 1 医師診断書の内容
  初診(平成22年11月2日・乙*)では約1週間の加療を要する打撲とされた。平成23年1月27日自宅での不自然な動きにもとづき右肩痛を訴え、翌日来院しレントゲンを撮った結果、右肩脱臼が認められた。その後、平成23年2月21日に実施されたMRIで右肩腱板の大断裂が認められた(同日以前にはエビデンスが存在しない)。後遺障害診断書(甲*)においては症状固定日が平成24年7月31日とされている(交通事故発生日から何と21ヶ月後)。傷病名に当初診断に無かった「右肩腱板断裂・右肩前方脱臼」が加わっている。
 2 本件治療経過の特徴
   証拠(略)および弁論の全趣旨から以下の事実や規範が導かれる。
イ 平成22年11月2日の事故外力により翌年2月21日に腱板断裂を生じることは普通あり得ない。事故外力が直接原因なら治療初期に症状が出ている。
ロ 初期診断は「全治約1週間の打撲」だった(証拠略)。
ハ 平成22年11月2日時点で「腱板がどういう状態であったか」を示すエビデンスは無い。単純X線以外の検査が行われていないからである。
ニ 客観的に腱板断裂の可能性があったのであればMRIをとるのが通常である。これは○も指摘していた。*医師もMRIの不実施を不手際と認めていた。
ホ ○は早期のリハビリを希望していた。しかし早すぎるリハビリは逆効果である。
ヘ 普通の日常的な動作で、いきなり脱臼が生じることは、通常はない(証拠略)。
ト 平成23年1月27日の○自宅での不自然な行動で脱臼と腱板の断裂が生じた可能性はある(2月21日実施のMRI結果から事後的に推測されるもの)。
チ ○の治療経過は*医師が予想した治療経過からは逸脱している。*医師が因果関係の判断に迷い他医師に相談に行くのはレアケースである(証拠略)。
リ *医師が言いうるのは「腱板の軽微な損傷程度は事故時に発生していた可能性がある」という程度のものである(証拠略)。
ヌ 肩腱板の損傷は高齢者においては通常生活でも生じうる。
ル 腱板断裂の手術が伸び伸びになったのは○が複数の医療機関を受診したことによるものである(些細な自己都合を主張し医師を困らせたこともあった)。
ヲ *医師の診断に反して自賠責は肩症状と本件事故の相当因果関係を認めていない。
 3 原判決の問題点
  本件に於いてMRI不実施は絶対的重要性を有する。医療水準に合致した加療行為が行われずに生じた拡大損害は「通常生ずべき損害」ではあり得ない。
第3 法的評価
 1 相当因果関係
 (1)一般論
  民事上の賠償範囲は事故によって通常生ずべき損害に限られる。第3者の行為が介在している場合、それが違法行為であれば(共同不法行為の要件を満たさない限り)行為者は事後の事象について責任を負わない。そもそも交通事故と医療過誤は意思の連絡も無く、行為類型も全く異なるものであるから、別個独立の不法行為が存在するものと認識し、個別に判断すれば足りるという名古屋地裁平成4年12月21日判決(判タ834号181頁)が参照されるべきであろう。なお共同不法行為成立を認めつつも各当事者は寄与度に応じた分割責任を負うにとどまるという見解の横浜地裁昭和56年9月22日判決(交通民集14巻5号1096頁)も存在する(添付書類を参照)。損害の拡大に被害者自らの行為が寄与している場合に、過失相殺法理の類推適用により相当の減額がなされるべきは当然のことと言いうるであろう。
 (2)本件の評価
① 平成23年1月28日以降の治療は本件事故を直接の原因として生じたものではない。
② *医師は腱板の軽微な損傷程度は平成22年11月2日事故のときに生じた可能性があると言うが、可能性に過ぎない。整形外科の規範に照らせば、腱板損傷の可能性が伺われればその時点でMRIをとるのが通常である。当時*医師は腱板損傷の可能性すら疑っていなかった。
③ 客観的に見て腱板損傷の兆候が無かったのであれば(医師に過失は無いが)事故との因果関係は完全に否定される。客観的に見て腱板損傷の兆候が有ったのであれば(医師に過失が認められ)事故との因果関係は違法行為の介在により否定される。いずれにしても平成23年1月28日以降の治療を平成22年11月2日事故に帰責させる理論的根拠は存在しない。これが理論的な帰結である。
④ 本件の場合、事故態様に照らして治療期間が著しく拡大された背景には上記医師の不手際のみならず、救急車を呼ぶことを拒否し・自己の病状を正確に医師に伝える努力を怠り・安静を指示する医師の指示に従わず・完治していないにも拘わらず無理な家事作業を行い・早すぎるリハビリを求め・複数の病院をドクターショッピングしたという○自身の特異な性格や行動・高額の賠償金を得ようとする不純な動機が絡んでいること明らかである(甲*を参照。通常の賠償請求をする者はけっして強要をしない異常なものである)。逆に言えば、客観的に見て腱板損傷の兆候があったのであれば普通の医師はMRIを実施する。腱板損傷が見受けられれば普通の医師なら固定術を実施するとともに患者に厳格な安静を指示する。普通の患者であれば安静指示を守る。拡大疾患に至るはずはない。
⑤ *病院は院内にMRIが存在し実施は極めて容易であった。
⑥ 原判決には上述の観点が全く欠落しており、批判されている当該医師の「主観」に全面的に依存した不合理極まりない因果関係判断になっている。
 (3)結論
  控訴人の賠償範囲は平成23年1月27日以前の治療に限られる。自賠責は肩関係治療と本件事故の相当因果関係を認めていない。原審裁判官はこの意味を全く理解していない。
 2 損害(以下、略)

* 福岡高裁は交通事故と肩関係治療との因果関係を否定しました。賠償範囲は平成23年1月27日以前の治療に限定され認容額は約30万円に大幅に減額されました。この判決に意義が認められ専門誌に掲載されました(自保ジャーナル№1959号21頁)。

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