久留米版徒然草 Vol.252

理念型と生活世界

NHK「100分で名著」2025年7月はフッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』。一般読者にとって通読が著しく困難な書物である。だからこそ、この番組で取り上げる意義は大きい。

 本書の根本的構想は、物理学をはじめとする近代科学が「数式や概念で記述された世界こそ客観的な真理である」と見なす態度(物理学的客観主義)への批判である。あらゆる学問が実証的なエビデンスを持たなければならないとする実証主義的な学問観への違和感でもある。フッサールはこうした風潮に異議を唱える。例えば幾何学における完全な平面・直線・円といった図形は人間の意識の中で構成された理念形にすぎず現実世界には存在しない。同様に科学的には「色」は光の波長「匂い」は化学物質の性質に還元される。しかし私たちにとってそれらは意味や感情と結びついた「生きられた体験」である。普通の人間が日々接している意味のある現実世界をフッサールは「生活世界(Lebenswelt)」と呼び、その復権の必要性を訴えた。科学が発達すればするほど人間の主観的体験や価値がないがしろにされてしまう。かかる「意味の喪失」が彼の言う「ヨーロッパ諸学の危機」の本質である。彼の超越論的現象学は、そうした客観主義的世界観の下で埋もれてしまった「人間の意識のあり方」「意味の生成のプロセス」を根底から問い直そうとする野心的試みである。

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