クライアントからの敬意と感謝
里見清一「偽善の医療」(新潮新書)はこう述べます。
自らの信条はともかく「患者は今や顧客と扱うべき」だとか、率先して「患者様と言え」と下に指導するような医師の矜持や使命感をドブに捨てたような発言をする管理職が私の身近にいるのは事実である。あるいは言葉など大した問題ではないと思っているのかもしれない。しかし言葉無くして人間の思考は、ひいては行動はあり得ない。我々は良かれ悪しかれ日本語で考えて行動するので、その品性はおのれの持つ、または使う、日本語によって規定される。
(略)医療者の最大のモチベーションは患者に感謝されたいということである。これを「金を払っているのだから『有り難う』というのはそっちであって、こっちではない」と、もし患者さん改め顧客としての患者様が言うのであれば、その次に来るのはもはや士気の低下どころのことではない。職業倫理の消滅である。
西洋には「持つべき友は医者と弁護士と神父」という諺があります。クライアントがプロフェッションを訪れるのは不幸な状態のときです。幸福な状態のときにこれら職業を訪ねる人は普通いません。不幸な状態に対して「高度の知識と倫理」で対応するからこそプロフェッションは人びとの敬意と感謝を受けてきたのです。市場原理と離れた人格的出逢いの中にクライアントとの人間関係は形成されたのですね。専門職の最大のモチベーションはクライアントからの感謝です。「カネを払っているのだから『ありがとう』というのはそっちであって、こっちではない」などと言われようものなら弁護士の矜持は消滅し弁護士倫理は崩壊するでしょう。近時、弁護士業界も「クライアントを顧客と扱うべきだ」という声が大きくなっています。将来「サービス業」に徹する弁護士はクライアントに対して「お客様、この度はご来店いただき誠に有り難うございました」と言うのでしょうか?