5者のコラム 「5者」Vol.38

知性・政治・マスコミ

 内田樹教授は鳩山首相の辞任に関してこう述べています。

鳩山=小沢ラインというのは政治スタイルはまったく違うが、短期的な政治目標として「東アジアにおけるアメリカのプレザンスの減殺と国防における日本のフリーハンドの確保:霞ヶ関支配の抑制:政治プロセスを語るときに『これまでマスメディアの人々が操ってきたのとは違う言語』の必要性」を認識しているという点で共通するものがあった。言葉を換えて言えば、米軍の統制下から逃れ出て自主的に防衛構想を起案する「自由」官僚の既得権に配慮せずに政策を実施する「自由」マスメディアの定型句とは違う語法で政治を語る「自由」を求めていた。その要求は21世紀の日本国民が抱いて当然のものだと私は思うが、残念ながら、アメリカも霞ヶ関もマスメディアも国民がそのような「自由」を享受することを好まなかった。彼ら「抵抗勢力」の共通点は日本がほんとうの意味での主権国家ではないことを日本人に「知らせない」ことから受益していることである。政治史が教えるようにアメリカの政略に抵抗する政治家は日本では長期政権を保つことができない。日中共同声明によってアメリカの「頭越し」に東アジア外交構想を展開した田中角栄に対するアメリカの徹底的な攻撃は私たちの記憶に新しい。実際には中曽根・小泉はいずれも気質的には「反米愛国」的な人物であるが、それだけに「アメリカは侮れない」ことについてはリアリストだった。

 私は、アメリカの気に入られるため忠実に番犬の役割を演じた中曽根・小泉よりも、アメリカにより犠牲を強いられている沖縄のために独立的な政治言語を模索した鳩山に遙かに知的な誠実性を感じます。しかし日本では知的誠実さを持つ者は世間のウケがよくありません。本音と建前を使い分けることができる者こそ大人とされ、理念を嘲笑する空気が蔓延しているのです。

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