5者のコラム 「5者」Vol.69

倫理的な高低・経済的な貧富

バブルの終わり頃「清貧の思想」(中野孝次)なる本がベストセラーになりました(1992年)。中野氏は貧乏を礼賛したわけではなく日常生活をシンプルにして心の豊かさを大切にしようと提唱しただけなのですが、この本が、著者の意図を遥かに越えて、庶民の喝采を浴びたのは題名の「清貧」という言葉の響きにあったと私は感じます。思考実験としての座標軸を考え、横軸に倫理的な高低を・縦軸に金銭的な貧富を配置してみることにしましょう。すると以下の4つが導かれます。

①清豊(人格的に豊か金銭的にも豊か)②汚豊(金銭的に豊か人格的には貧しい)③汚貧(金銭的に貧しく人格的にも貧しい)④清貧(金銭的に貧しいが人格的に豊か)

上記④を著者が単純に礼賛した訳ではありません。しかし当時バブルに浮かれていた世間人は④を理想化して受け止めました。その背景にはバブル経済の中で②の人が引き起こすスキャンダラスな数多くの事件があったと考えられます。「金持だけど汚いエリート」と「貧乏だけど清い庶民」の二項対立(②④図式)が庶民のルサンチマン(ねたみ)を満足させました。それはキリスト教的・マルクス主義的な感覚をも伴ってマスコミにまき散らされたのです。
 実務法曹として仕事をすると②④の対立図式が極めて観念的なものであること(強いバイアスが存在すること)を自覚します。②④の方が存在することは否定しませんが、それ以上に①と③の方が多く存在するからです。①は「人格的に豊かであるが故に周囲の信頼を集め、結果として経済的に成功して豊かになった方々」です。③は「人格的に貧困なるが故に周囲の信頼を得られず、結果として経済的に貧困に陥った方々」です。②④図式だけではなく①③図式をも頭に入れることによって我々はリアルな人間社会の存在様式を認識できる、と法律家である私は感じております。

医者

前の記事

強制の図式