認知症高齢者の意思能力
高齢化社会の進展に伴い「認知症高齢者の法律行為の効力」が争われる場面が増えました。以下は約10年ほど前にある研究会で行った発表に若干手を加えたものです。
1 高齢者からの受任時の注意
高齢者からの委任を受ける際は(後で意思能力が争点となり得ますので)細心の注意を払います。委任状は必ず自署していただきます(代筆は危険です)。依頼の意思を補強するため依頼の経緯や実情を述べた文章を「自筆で」書いていただくこともあります。「医師の診断書」を確保する必要がある場合もあります。成年被後見人も「遺言」をすることは出来ますが事理弁識能力を一時回復したことを証明するために医師2名以上の立ち会いが必要です(民法973条)。後見開始決定を得ていない場合は2名以上の医師の立ち会いが常に必要とは言えません。しかし後で意思能力が争われることが多いので主治医と精神科医の診断書を得ておいた方がよいと思われます。
2 本人死亡後の意思能力判断
高齢者が死亡した後「本人の意思能力や法律行為の意思の有無」が争点になった場合に「如何なる基準で判断すべきか」問題となります。本人がいないので立証責任を負う側は困難を強いられます。以下、直接証拠と状況証拠を分けて考察します。
イ 直接証拠に関する分析
① まず形式面から考えましょう。
「自署か否か」の判断は極めて重要です。親族には自署か否か概ね判るもののようですが微妙な場合には鑑定を行うことになります。ただ、実際に筆跡鑑定に接した経験から言えば本人の字であるか否かが明晰とは言い難い鑑定も多いようです。本人の字ではあるが「添手をしていた場合」はどうでしょうか。これについては最判昭和62年10月8日があり、添え手をした他人の意思が介入した形跡のないことが、筆跡の上で判定できる場合には有効な自署と認めています。ただし、かかる判定を誰がどうやって出来るのかは良く判りません。可能な限り添え手はしないほうが良いです。
② 次に内容面から考えましょう。
当該法律行為の「重大性と複雑性の相関関係」で判断が為されているようです。当該法律行為が高齢者に不利益に働く場合には当然に判断は慎重になります(例えば生存中なのに他人に高額な資産を処分する等)。また、行為内容が複雑であればあるほど、本当にかかる複雑な判断が為し得たのかという疑念を持たれやすいことになります。例えば不動産の数次の処分になると分数の複雑な計算が必要になることがありますが高齢者には通常こういった複雑な判断はできません。ゆえに、重大で・複雑な行為は効力を否定されやすいのです。難しいのは「重大だけど内容が単純なケース」が少なくないということです。その典型は「自分の財産を特定の誰かに全部あげる」という行為です。かかる行為の場合、状況証拠からの分析を相当加えないと適切な判断が出来ません。
ロ 状況証拠からの分析
① 「生物学的要素」として当時の病状が問題です。医学的資料による裏付けが不可欠です。主治医や精神科医の診断を検討すること、診療録を精査することが重要です。思わぬ有利材料を発掘することもあります(昔、死亡直前に為された養子縁組無効を主張する訴訟で、病院から取り寄せた看護記録に相手方が縁組みが為されたと主張した日の翌日に本人が病室から飛び降りようとしているのを看護婦が発見し止めたという記載があるのを見いだして無効判断を勝ち取ったことがあります)。
② 次に問題書類が作成された「外形的状況」も重要です。公正な立場の立会人がいることが望ましい。公証人が最もふさわしいと思われます。以前は公正証書が無効とされることは稀でしたが、「生物学的要素」の比重が高まるに従い公正証書遺言も無効と判断されるケースが増えています。
③ 最後に「動機の有無」が問題です。当人の人生における当該法律行為の自然さが問われます。法律行為の有効性を主張する側は何らかの物語を提示しますから無効を主張する側はこれを弾劾する必要があります。特に重大で単純な行為の場合は動機の有無が重要なポイントになります。
* 参考文献として升田純「高齢者を悩ませる法律問題」判例時報社および高村浩「民事意思能力と裁判判断の基準」新日本法規を挙げます。参照してみてください。特に「遺言無効」を主張し提訴する場合には判例タイムズ1380号「遺言無効確認請求事件を巡る諸問題」をお勧めします。