5者のコラム 「役者」Vol.57

「離見の見」について

土屋恵一郎氏は述べます(「処世術は世阿弥に学べ」岩波アクティブ新書40頁)。
 

そもそも人間は自分の背中を見ることは出来ない。何かの拍子に鏡で自分の背中を見たりすると、その姿に嫌になることがある。中年になってよほどのことがないかぎり背中はもう若い時のようにすっきりとはしていないからだ。自分の背中を見ることは出来ないというのは自分の眼をその眼自体が見ることはできないのと同じである。そこで世阿弥はこう言っている。「眼、まなこを見ぬ所を覚えて、左右前後を分明に安見せよ。」眼は、自分の眼を見ることは出来ないのだから、左右前後をよく見て、自分の姿をその左右前後から見る者たちのうちにおいて、よくよく見ていなければならない、とうのだ。このことが「離見の見」といわれるものである。また「見所同見」ともいわれる。「見所」とは今で言う観客席のことである。「見所同見」とは観客席から見ている観客の目を通して自分を見ることである。観客席から見える自分を見る。これは難しい。できない。できないが世阿弥はそれを求めた。

他者から見える自分の姿を直接見ることは出来ません。しかし他者からの反応によって鏡に映し出された自分の姿を示されたりすると嫌になることがあります。弁護士として20年近く時を過ごすと自分の姿は若い時のようにすっきりとしていません。そのことを自覚するため身近な人(依頼者・先輩後輩・事務職員・書記官・家族など)から見える自分の姿を指摘してもらうのが良いようです。観客から見える自分の姿を想像することは難しい技ですが、そのことを意識している人と意識していない人とでは他者に対する接し方が変わってくるような気がします。ほんの少しでも、そのような心がけをすることで弁護士としての姿かたちが良くなるかもしれません。

芸者

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