5者のコラム 「学者」Vol.145

所有的知性とレンタル的知性

統計数理研究所の樋口知之所長がネット上で次のように語られていました。

私が若い頃は図書館で論文を探しプログラムを自分で書いた。図書館のどの雑誌にこの情報はあるはずという構造化された考え方をしていた。今の世代は初めから検索だ。知識はフラットで必要な情報を検索し足りないものは集めてくる。不得意分野は得意な人から力を借りる。借り物であることに抵抗がない。分野の垣根なく繋がり高速にアイデアを試していく。

弁護士の蔵書観も「構造化された考え方」でした。所有的知性・書斎的知性と言えます。私も事務所と自宅に結構な量の書籍を有しています。何処にどんな本があるか概ね把握しています。コラムニスト中野翠さんは本棚を「一種の祭壇」と表現していました。共感します。ただし本は重く結構な場所を占めます。私が読んだ本は痕跡が残るので商品価値がありません。将来の処分費用を考えると蔵書は資産ではなく負債です。旧い人間なので本棚に「知の神様」がいる感じがして蔵書を処分することができません。これに対し現在の「フラットな考え方」はレンタルする知性・シェアリングする知性です。蔵書は持たず(持つ場合も必要最小限)ネット上で検索し、現物が要る場合は図書館から借りてコピーする。それは(資産を増やすより)負債を最小限にする考え方です。「蔵書は中央に1つあれば十分・各自がアクセス手段を持ち検索技術を磨けば良いだけ」。若手弁護士事務所は実際にこうなっていて書籍が極端に少ないと感じます。背景には賃借コストが昔より高価になっている事情もありますが、より根本的には電子データへのアクセス技術が向上していることが主な理由です。若手弁護士は法律情報のレンタルやシェアリングに抵抗がありません。時代の趨勢ですね。

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