5者のコラム 「学者」Vol.159

子ども的な見方からの脱却

内田樹先生がブログでこう述べています。

外国語を学ぶ目的は、われわれとは違うしかたで世界を分節し、われわれとは違う景色を見ている人たちに想像的に共感することです。われわれとはコスモロジーが違う、価値観・美意識が違う、死生観が違う、何もかも違うような人たちがいて、その人たちから見た世界の風景がそこにある。外国語を学ぶというのはその世界に接近してゆくことです。フランス語でしか表現できない哲学的概念とか、ヘブライ語でしか表現できない宗教的概念とか、英語でしか表現できない感情とか、そういうものがあるんです。それを学ぶことを通じて、それと日本語との隔絶やずれをどうやって調整しようか努力することを通じて、人間は「母語の檻」から抜け出すことができる。外国語を学ぶことの最大の目標はそれでしょう。母語的な現実・母語的な物の見方から離脱すること。母語的分節とは違う仕方で世界を見ること、母語と違う言語で自分自身を語ること。それを経験することが外国語を学ぶことの「甲斐」だと思うのです。

法律を学ぶ目的の1つは我々とは違うしかたで世界を分節し我々とは違う景色を見ている人たちのことを想像的に共感する力を養うことです。価値観や美意識が違う・死生観が違う・何もかも違う人々がいて、その人たちから見た「世界」の風景がそこにある。法律を学ぶことは、その世界に接近してゆくことです。法的言語でしか認識できない事実・概念・感覚・感情、そういうものがあるのです。それを学ぶことを通じて、それと日常言語との隔絶やズレを「どうやって調整しようか」と努力することを通じて、学生は子ども時代の生活世界から抜け出ることができる。学生が法律を学ぶ意義はこれです。「子ども的なモノの見方」から離脱することこそ法律を学ぶ目的です。法律を学ぶことで社会的地位を若干向上させることが出来たとしても、そんなものは「おまけ」に過ぎません。