5者のコラム 「学者」Vol.149

不透明な現代社会を理解するための補助線

 中島岳志「血盟団事件」(文春文庫)の書評(FBへの投稿)。
素晴らしい著作だ。文献を丁寧に消化し事件関係者にも逢って裏を取り被告人の心象風景を見事に描き出している。三井の総帥・団琢磨は筑後地域を振興させた立役者だ。その団を暗殺する血盟団事件とは何だったのかというテーマは「今の社会は貧富の格差を拡大させ庶民を疲弊させているのに政治家や経営者は自己の利益ばかり追求している」との庶民の不満が蓄積されている現代においても貴重である。団琢磨を暗殺した菱沼五郎には無期懲役の判決がなされたが「特赦」で減刑され昭和15年(事件の8年後)に仮出所する(戦後は茨城県議会議員となり議長まで努める地元の名士になった)。この刑事政策が社会に与えたメッセージの重大性は計り知れない。最近の秋葉原事件と血盟団事件との類似点も明瞭に整理されている。格差社会における疎外と自己承認欲求としての暴力が類似している。当時は攻撃のターゲットが明確だったが、今は疎外を強いるターゲットが不明であるため「生の希薄さ」が「不透明な殺意」に繋がっている。「政治家や経営者は自己の利益ばかり追求している」と批判していた点で血盟団員の心象風景は私の若い頃の記憶に重なる。生きる時代や手段を間違えていれば私だって暴力を他者に向けていたかもしれない。引用されているポール・ヴァレリーの言葉が素敵だ。「湖に浮かべたボートを漕ぐように人は後ろ向きに未来へ入っていく。目に映るのは過去の風景ばかり。明日の景色は誰も知らない。」私たちは過去を見つめることによって未来への船先を定めることができるのだ。未来を正確に見据えるためには過去を凝視しなければならない。本書は不透明な現代社会を理解するための補助線として最適である。