権利濫用判決と相続法理
実体に反する戸籍事項の訂正を行うためには無効確認請求訴訟を提起し勝訴判決を得る必要があります。虚偽の届出は無効ですから請求は認容されるのが原則です。しかし時間の経過や諸般の事情により請求を認容し難い場合があります。かかる場合に裁判所は権利濫用という一般法理を活用します(最高裁平成18年7月7日判決)。しかし権利濫用判決により戸籍事項の抹消を免れた者は相続問題において「相続人」として扱われるのでしょうか?以下は、権利濫用法理によって敗訴した真正相続人からの依頼により提起した遺留分減殺請求訴訟において、原告側で主張したものです。被告を相続人の1人とカウントするか否かで原告の遺留分割合が違ってきます。当方は被告を相続人とは認めないのに対し、被告は相続人だと主張したために法律論を議論することとなりました。
認知無効確認請求は何のために行うのか?それは直接的には戸籍事項の抹消を求めるためである。実体に即さない認知届を近親者が是正することを求める場合には認知無効確認請求が認容された確定判決を添付する必要があるからである。本件の場合、この実質的意味での戸籍事項の抹消請求は権利濫用により出来ないと判断されたが、判決はここから更に進んで(実子でも養子でもない)被告に実子そのものの実体的地位を積極的に認めたわけではない。実子であっても、非嫡出子であれば相続分は2分の1となる。しかし、被告主張によれば、実子でない被告が非嫡出子たる実子よりも有利な地位を得ることになってしまう。無から有は生じない。形式的な「戸籍事項の抹消請求」と実質的な「相続人たる地位」は全く別の問題である。法律上ある請求が規範的に「棄却」されることと、ある請求が規範的に「要請」されることの間には無限の距離がある。たとえば内縁関係の場合、被相続人の実子が内縁の妻に立ち退きを求めても裁判所がかかる請求を権利の濫用として棄却する例は少なくない。しかし、この場合も内縁の妻の法定相続分が規範的に要請されるわけではない。
戸籍事項の抹消請求が権利濫用とされたのは時間の要素が大きい。虚偽戸籍がなされて直ぐであれば権利濫用との判断はまず絶対に生じないと思われる(最判の事案の全てが相当の時間的経過を特徴とする)。戸籍事項の抹消請求が権利濫用となるか否かは事案毎に異なる極めて微妙な問題であるが、相続問題は第3者にも関係しうる簡潔・明瞭を求められる問題である。虚偽の実子たる出生届をされた者(本来は相続人ではない者)が、ある程度の時間の経過によって、突如として実子同様の相続人たる地位を取得するなど考えられない。最高裁も、戸籍事項抹消の問題を超えて、相続問題における実子たる地位そのものを被告(被請求者)に認めたわけではない。
* 本件事案は裁判所から<相続人の範囲をあえて明示しない>微妙な和解案が提示され当事者がこれを受け入れたため、和解で終了しました。
* 近時の判例として東京高裁平成22年9月6日があります(判例時報2095号49頁)。この事案では原告の請求が棄却された上、「なお書き」による異例の判示がなされています。
* 戸籍事項の訂正に確定判決が必要だというのは戸籍法116条によるものです。この他同113条・114条による家庭裁判所の許可による訂正の制度があります。この制度は明 白性・軽微性・関係人の異議がないことの要件が必要と解されていましたが、近時、偽造された婚姻届にかかる戸籍の訂正につき家裁の許可が認められた事案があります(判例タイムズ1338・145頁)。