5者のコラム 「5者」Vol.159

記憶の中の自分と対峙する

葉室麟「柚子は九年で」(文春文庫)に以下の記述。

記憶の中にいる小学生の自分に何と呼びかければ良いのだろう。「わたし」と呼ぶには実感がない。肉体も精神も何もかも違ってしまっている。鏡に映る自分は小学生の頃の「わたし」からみれば想像も付かない別人だ。だからといって「かれ」と呼ぶわけにはいかない。「きみ」「おまえ」「あなた」など2人称なら記憶の中の自分に呼びかけるときにしっくりくる。人生のあらゆる場面で自分に呼びかけたいという思いは誰にでもあるのではないだろうか。困ったことに直面する前に「きみ」と呼びかけて「やめたほうがいい」と忠告する。間違った判断をしたとき、失敗をしたとき、「お前」と呼んで叱りつけ一緒に嘆く。苦境にいる自分には「あなた」と声を掛けて慰め希望を捨てないで生きていけば未来は開ける、と囁きたい。年齢を重ねるということは記憶の中の懐かしい自分とゆっくりとした対話の時間を持てるということなのかも知れない。

還暦を過ぎた私が対話したい相手は大学生の頃の自分です。既に肉体も精神も何もかも違ってしまっています。鏡に映る自分は大学生の頃の「わたし」からみれば全くの別人です。だからといって「かれ」と呼べるほど他人ではありません(当たり前です)。危ないことを考えたことがあります。今からでも「きみ」と呼びかけ「やめたほうがいい」と忠告したい。間違った判断をしたこともあります。「お前」と呼んで叱りつけ一緒に嘆きたい。苦境にいる自分には「あなた」と声を掛け希望を捨てないで生きよと囁きたい。このコラムを書くようになって私は記憶の中の自分とゆっくりとした対話の時間を持てるようになりました。恥ずかしいことも多いのですけど「過去の自分」を振り返る機会を持ち、こうして形に出来るのは有り難いことです。