飲み会をする意義
昔の日本人は身体の中に三匹の虫(三尸)がいると考えていました。「腹の虫がおさまらない」や「虫が騒ぐ」などの表現に残されています。彼ら三尸は普段じっとしていますが60日に1回人が寝ている間に身体の中を抜け出します。何をしに出かけるか?天帝への告げ口です。天帝にその人の普段の罪悪を報告に行くのです。報告を受けた天帝は、告げ口の内容に応じてその人の命を縮めます。人々は(早死したくないと)虫の告げ口を恐れて悪事をしなくなるか?というと「判っちゃいるけど止められない」(@青島幸雄)のが人間です。そこで人々は虫が天帝に報告に行けないよう考えます。その方法は「60日に1回その日は寝ないようにすること」。そして「どうせだったら皆で起きていよう!」とすること。これが「庚申講」と呼ばれるもので60日に1回の持ち回りです。担当の家で朝まで寝ずに宴会をしながら、三尸の天帝への報告を阻止します。もともと庚申とは道教の考え方であり平安時代に中国から伝わった信仰ですが、習俗としての庚申講は江戸時代に農村を中心に広まりました。もとの趣旨がどうであれ、60日に1回皆で集まって徹夜で飲み続けることが公的に認められるのです。娯楽が少なかった昔、庚申講は気のあった仲間が集い笑い悩みを打ち明け合って明日への活力を取り戻すことが出来る絶好の機会でした。これが昔の人の知恵なのです。
弁護士の仕事をしていると自分の中の虫が騒いでくるのを感じることがあります。そのまま放置しておくと自分の命を縮めるような感じがするときがあるのです。弁護士の仕事を止めてしまえば虫に悩まされることもなくなるのでしょうけれども、家族や事務職員の生活もかかっているので簡単には仕事を止めることができません。そこで私は(60日に1回と決めている訳ではありませんが)時折、気のあった仲間と飲み会をします。私にとっての「庚申講」です。