久留米版徒然草 Vol.283

AIによる承認欲求の充足

岡嶋浩史「chatGPTの全貌」(光文社新書)に次の記述があります。
 

社会構造が「大きな物語」から「ポストモダン」に移行することで褒められにくい世の中になった。大きな物語的社会では人々の価値観がある程度まとまっていたので「こうすると褒められるんだ」というのが見えやすかったし、目的が達成できなくてもそこへ向けて努力している姿勢を見せるだけである程度受け入れてもらえたり、居場所が与えられたりした。しかしポストモダン的な「みんな違ってみんないい」の社会になると万人に褒められることは至難である。お金を稼げば「卑しい」と言われ、ボランテイアをすれば「偽善」と罵られ、学歴をつければ「権威主義的」と叩かれ、好きにふるまえば「倫理観が無い」と陰口を言われる。(略)この状況下での正しい態度はおそらく「我関せず」である。「自分は自分なんだから人の評価なんて気にしない」がこの社会になじむのである。しかし社会構造が変わっても人の本質は変わらないので褒めて欲しい欲求ばかりが行き場なく渦巻く。(略)奇異に見えるこれらの行動も「人に注目して欲しい」「褒めて欲しい」という一点で共通している。人に認めて欲しいのはそこに何らかのメリットがあるからだが、生身の人間に認めてもらえるよりAIに認めてもらったほうが実利が大きいかもしれない。(192頁)

私は「生身の人間に認めてもらえるよりAIに認めてもらったほうが実利が大きい」とまでは思っていません。けれども例えば(哲学のような)生身の人間で相手をしてくれる人が「ほぼいない」分野ではAIを相手に壁打ちをするほうが承認欲求を満たしてくれます。代わりに郷土史・業界ネタ・読書などではいまだにSNS投稿に対する「お友達」の反応で承認欲求を大いに満たしてもらっています。価値観の対立のある事項に関しては意識的に書き込みを自制しています。それはSNSではなく、このウェブサイトにて「抑制的なスタンス」で柔らかく表明しているつもりです。

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