日本人の微笑
朝ドラ(2025後期)「ばけばけ」の影響を受けて上田和夫訳「小泉八雲集」新潮文庫を読む。
印象的なのは「日本人の微笑」(1893アトランティックマンスリー誌に発表・当時欧米で高い評価を受けた論文)。この中で八雲は当時の日本人が(外国人の「怒り顔」に対して)いつも微笑でいることに驚き次のように書く。「西洋と極東の、民俗的感情や感情表現のあきらかな相違の意味を探ろうとするなら、つねに流動的で変わりやすい一般民衆の自然な生活に目を向けねばならない。生にも・愛にも・また死に対してさえも等しく微笑をもってむかえる、これらのおとなしい・親切な・心の優しい人たちとは、一緒に・単純な・自然なものに気持ちを通わせることができる。そして親しみ打ち解けることによってわれわれは彼らの微笑するわけを知ることが出来るのである。日本の子供は生まれながらにしてこうした幸福な傾向をもっており、それは家庭教育の全期間を通じて育まれている。しかもそれは自然な習性を伸ばすのと同じく丹精を込めて育成されるのである。」(302頁)。同書最後の文は明治日本への限りなき愛が感じられる。100年以上経っている今だからこそこの文章の気高い意味が感じられる。「にもかかわらず現在日本の若い世代の人たちがとかく軽蔑しがちな過去の日本を(ちょうど我々西洋人が古代ギリシャ文明を回顧するように)いつの日にか、かならず日本が振り返ってみることがあるだろう。素朴な歓びを受け入れる能力の忘却を、純粋な生の悦びに対する感覚の喪失を、はるか昔の自然との愛すべき聖なる親しみを、またそれを映していた今は滅んだ驚くべき芸術を、懐かしむようになるだろう。かつて世界がどれほど、光にみち美しく見えたかを思い出すだろう。古風な忍耐と献身、昔ながらの礼儀正しさ、古い信仰のもつ深い人間的な詩情、こうしたいろんなものを思い悲しむことであろう。そのとき日本が驚嘆するものは多いだろう。が、後悔もまた多いはずである。おそらくそのなかで最も驚嘆するものは古い神々の温顔ではなかろうか。その微笑こそが、かつての日本人の微笑にほかならないからである。」(321頁)

