神仏習合って何?
古川順弘「神と仏の明治維新」(洋泉社歴史新書)によれば神仏習合時代の安楽寺天満宮(太宰府天満宮)の御神体は道真自筆「法華経8巻」でした。道真が心血を注いで3年かけて書写したと伝えられていました。ところが神仏分離により当時の宮司が「法華経が御神体なのは都合が悪い」として焼き捨ててしまったのです。残っていたら「国宝」クラスでしょうね。(以下FB友と議論)
1 神仏は「聖なるもの」として共通しているので,そもそも分ける必要がないと思っています。
2 神仏習合は一神教感覚では考えられないことと思いますが、良い方向で考えれば、私は神仏習合こそが「宗教的原因による内戦」を引き起こさなかった大きな要因だと考えます。
3 キリスト教は復活のキリストを信じる「一神教」と評価されていますが、これだけでは窮屈だし土俗宗教とも適合しにくいので、こっそり「マリア崇拝」を忍び込ませていますね。
4↑カトリックが「隠れ多神教」というのは認識しています。おそらく布教当初の宗教風土ではギリシャ・ローマの多神教世界に習合させるために多数の守護聖人を作らなければならなかったのではと想像しています。しかし、だからこそキリスト教は世界宗教になったとも言えます。
5 神仏習合はめちゃめちゃ面白いです。神々も仏も様々に変成(へんじょう)してゆき、姿も性格も変わっていきます。六郷満山で有名な宇佐神宮を調べてみられると面白いと思いますよ。
6↑八幡は最初の神仏習合が生じたところですね。田舎の八幡神が手向山・石清水・鶴が丘・箱崎という勧請を得て日本最大級の有力社になっていくところが面白いですね。
7↑宇佐宮の祭神は応神天皇。八幡神も正体不明の神ですが、それと習合する。八幡神社の総本社として有力社になっていったのは勧請を通じて武家の信仰を集めたのが大きいです。
8「法華経」が御神体やったんや、面白か。違和感はあるけど「神」やからかなあ。仏は人が成れる位置付けやし、そもそも仏教って「教え」であって「信仰」じゃないからなあ。
9↑「ご神体」を焼き捨ててしまうところが凄いよね。ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」にキリスト教を守護する大審問官が「自分は悪魔の側にいるのだ」と宣う場面があるけど「菅原道真を守護するはずの宮司が躊躇なく悪魔のような破壊者になる」ところが凄いね。