久留米おきあげと忠臣蔵3
令和5年2月4日、久留米郷土研究会の見学会が久留米市立草野歴史資料館にて開催されました。このとき展示されていた企画展は「仮名手本忠臣蔵と郷土に伝わる浪士伝説」です。久留米市城島町の島崇家から寄贈を受けた「仮名手本忠臣蔵」のおきあげは、久留米おきあげ作家である島サダ氏が明治時代に制作されたもので、背景画・演目次第とともに大事に保存されていました。神社の祭礼や村芝居などで披露されてきた極めて貴重なものです。以下、紹介します。
江戸時代、文芸や戯曲においてその時々に起こった事件をそのまま取り上げることは禁じられていました。特に前回紹介した赤穂事件は武家社会のスキャンダル的側面があり幕政批判に通じかねないので(人形浄瑠璃や歌舞伎の芝居でも)興行する側は事件を脚色しました。時代や人物を違う時代や人物に置き換えたのです。『仮名手本忠臣蔵』の場合(南北朝時代)「太平記」巻二十一「塩冶判官讒死の事」を借りています。高師直が塩冶判官高貞の妻の美しさを聞きつけ、恋文を送るものの判官妻から拒絶される。腹を立てた師直が将軍足利尊氏や足利直義に判官を讒言した結果、判官は謀叛の汚名を着せられ判官らは無残な死を遂げるというもの。『仮名手本忠臣蔵』は吉良義央を高師直に、浅野長矩を塩冶判官に置き換え、師直が判官の妻に横恋慕したことを事件の発端と設定しています。
*以下では「仮名手本忠臣蔵と郷土に伝わる浪士伝説」図録に付された「新版歌舞伎辞典」の説明および松井今朝子「仮名手本忠臣蔵」(河出文庫古典)から適宜引用します。
*以下は草野歴史資料館の許諾下に撮影したものです。本稿で使用した写真原版に関する著作権は草野歴史資料館に帰属します。無断転載は禁止されています。ご留意願います。
最初は三味線と義太夫からです。人形浄瑠璃の世界に入っていけます。
大序・鶴岡の饗応 桃井若狭助・高師直・顔世御前・塩治判官
天下を平定し征夷大将軍の位についた足利尊氏の命で、弟直義が鎌倉鶴岡八幡宮に新田義貞の兜を奉納することとなり、兜鑑定の役として塩冶判官の妻:顔世御前が呼び出される。以前から彼女の美しさに目を付け横恋慕していた足利家の重役:高師直は、良い機会と顔世を引き止め言い寄る。権力に物を言わせ強引に口説くのを、来合わせた桃井若狭助が見かねて顔世御前を逃がしてやる。師直が憎々しく侮辱するのでカッとした若狭助が師直に斬りかかろうとするが判官が止める。
二段目・諫言の寝刃(本蔵松切) 加古川本蔵・桃井若狭助・高師直
翌日の桃井若狭助の館では鶴岡八幡宮で主人が高師直に恥辱を受けた噂でもちきりになっている。桃井家の執権職加古川本蔵が現れ、下部たちを叱りつける。本蔵の妻の戸無瀬と娘の小浪も案じている。そこへ塩冶判官からの使者として大星力弥が訪ねて来る。本蔵と戸無瀬はわざと娘小浪に任せて引っ込む。初々しく凜々しい力弥に、その許嫁である小浪は胸をときめかせて応対する。若狭助は加古川本蔵を呼び「明日登城したら師直を斬るつもりだ」と固い決意を打ち明ける。本蔵は黙って主人の脇差しで庭前の松をすっぱと切り安心させておいて密かに師直のもとへ馬を走らせる。
三段目・恋歌の意趣(喧嘩場) 高師直・塩治判官
本蔵は、未明の足利館の門前で、登城する師直に追いつくと「若狭助から」と告げて多くの賄賂を贈る。その甲斐あって師直は若狭助を見るなり平身低頭して謝るので、さすがの若狭助も拍子抜けしてしまう。危うく助かった師直は(そうと知らずに)顔世御前からの拒絶の手紙を持って登城してきた塩冶判官に屈辱の怒りをぶつける。エスカレートしていく罵詈雑言(「井戸のフナ」呼ばわりまでされる)に、さすがに温和な判官もついに堪えきれず「殿中で刀を抜けば家は断絶・身は切腹」なる掟を知りつつ師直に斬りつけてしまった。しかし、主人を案じて潜んでいた加古川本蔵に背後から抱き止められ、師直にとどめをさせぬまま取り押さえられてしまう。
四段目・来世の忠義(城明け渡し) 次郎左衛門・大星由良助・馬之承
判官は裁きを粛々と受け入れ切腹する。駆けつけた家老大星由良助に無念の想いを伝え、腹切り刀を形見に託して絶命。「敵は高師直ただ1人」由良助は師直を討つ決意を胸に秘めつつ、今すぐ事を起こそうと血気に逸る若侍たちを抑え、館を明け渡し静かに立ち去る。殿中で刃傷事件がおきたとき、判官の供で来ていた早野勘平は恋人おかるに誘われて館を離れていて、主人の一大事に駆けつけられなかった。取り返しのつかぬ大失態に腹を切って詫びようとする勘平を、おかるは必死に説得し思い止まらせる。そして2人でおかるの実家がある京都山崎へと落ち延びていく。
五段目・恩愛の二つ玉(山崎街道) 与市兵衛・釜定九郎
猟師となった勘平は、数か月経った夏の夜、猟の途中で元同僚の千崎弥五郎に再会。弥五郎から「敵討ちへ参加するには軍資金を出す必要がある」と聞いたものの貧しい暮らしで資金捻出は出来そうにない。一方、おかるの父・与市兵衛は、娘が夫勘平のために祇園の花街に遊女として身を売った代金の半額50両という大金を持って、家路を急いでいた。しかし山崎街道で山賊の斧定九郎に大切な50両を財布ごと奪われ殺されてしまう。そんなこととは夢にも知らず勘平は雨夜の暗がりの中で猪を追って来て銃を撃つ。勘平が放った二発の銃弾は定九郎の胸を撃ち抜く。猪と過って人を撃ってしまったと気づいた勘平は動転し、倒れた男を介抱せんと懐に手を入れると大金の入った財布が手に触れる。悪いと知りつつ、死体をよく確かめもせず、急いで財布を持ち去る。
六段目・財布の連判(勘平の内) 千崎弥五郎・早野勘平
翌日勘平が帰宅すると祇園町からきた男女がおかるを連れて行こうとしているところであった。勘平は妻が自分のために身を売ったことを初めて知る。そして遊女屋の女房の話から、昨夜撃ち殺した50両の持ち主は舅与市兵衛だったと思い込む。おかるが連れて行かれた後、猟師仲間が与市兵衛の死骸を運んでくる。驚いた姑おかやは「勘平が舅を殺した」といって責め立てる。折も折、弥五郎が上役と訪ねて来る。二人はおかやから「勘平が敵討ちの資金に拠出した50両が舅を殺して奪った金だった」と聞くと立ち去ろうとする。勘平は必死で二人を引き止め苦しい胸の内を語ると、腹に刀を突き立てた。苦衷の告白に心を動かされた弥五郎が与市兵衛の死骸を調べると傷口は刀でえぐられたもので勘平の仕業ではなく勘平が鉄砲で撃ったのは舅の敵・定九郎であったと判明。勘平は晴れて敵討ちの連判状に加えられ、姑に見守られて息絶える。
七段目・大臣の錆刀(揚屋一力亭) 茶屋の女・大星由良助・茶屋の女
賑やかな遊里・京都祇園の一力茶屋。大星由良助が敵討ちのことなど忘れたかのように酒を呑み遊興の限りを尽くしている。おかるの兄・寺岡平右衛門は、敵討ち参加を願いに訪ねて来たものの相手にもされない。一方、元は塩冶家の家老だった斧九太夫はいまでは師直側に寝返り、由良助の本心を探るため由良助に届けられた密書を盗み読もうと床下に隠れている。そうと知らず由良助が密書を読み始めると今では遊女となったおかるが二階から覗きみる。それに気付いた由良助はおかるを手元に呼び、密書を読んだと聞くと、身請けして自由の身にしてやると言って、身代金を払いに奥へ入る。おかるが喜んでいると兄・平右衛門に出会う。平右衛門は、由良助がおかるを身請けする真意は口封じに殺すためだと気付く。そして妹に「どうせ殺されるなら兄の手にかかって死んでくれ、敵討ちに参加するために兄に手柄を立てさせてくれ」と頼む。おかるが命を差し出そうとしたその時、兄妹の一途な心を見届けた由良助が止めて平右衛門に敵討ちへの参加を許す。そしておかるに刀をもたせ、手をそえて床下に潜んでいた斧九太夫を刺殺させる。これは由良助が、おかるに裏切り者を討たせ、亡き勘平の代わりに功を立てさせたのであった。
八段目・道行旅路の嫁入(道行き) 中間・小浪・戸無瀬
紅葉が美しい晩秋の東海道を、加古川本蔵の娘小浪と若い継母の戸無瀬が連れだって、京都山科の大星由良助のもとへと急いでいた。秋晴れの富士を望む峠で、たまたま見かけた花嫁行列にさえ小浪の恋心は切なく波立つ。それもそのはず、許婚だった大星力弥との約束も、いまや消えかかっていた。義理の仲でも戸無瀬は母。血が繋がっていないからこそ、娘の想いを叶えてやらねばならない義理があると小浪の心を引き立て足を速めて先を急ぐ。七里の渡しを舟で渡り、庄野・亀山・鈴鹿を越えて、秋の深まりと共にやがて2人の長旅も終盤にさしかかっていく。
九段目・山科の雪転し(山科の内) 力弥・小浪・戸無瀬・お石・虚無増(本蔵)
雪の朝、遊興先の祇園一力茶屋から仲居に送られて由良助が山科の詫び住まいに帰って来る。道々遊びに事寄せて作った雪玉を裏庭に入れておくよう力弥に命じて奥へ入る。ようやく到着した戸無瀬と小浪は出迎えた由良助の妻お石から嫁入りを拒絶される。戸無瀬は夫への申しわけに死のうと思い詰め小浪も操を守って死ぬ決意をする。戸無瀬が小浪を斬ろうと刀をふりあげると、門の外から虚無僧の吹く尺八の『鶴の巣籠』が聞こえてくる。そこへお石が「御無用」と声をかけて現れ、戸無瀬に向かい「主君塩冶判官が殿中で師直を討ち漏らしたのは本蔵が抱き留めたためだから嫁入りを許す代わりに本蔵の首をもらいたい」という。驚く母娘の前に先ほどの虚無僧が入ってきて天蓋をとると本蔵その人だった。本蔵がお石を踏みつけ、由良助を罵るので、力弥が飛び出して槍で突く。由良助が現れ、本蔵がわざと刺されたと見抜き、小浪の嫁入りを許す。そして雪で作った五輪塔を見せて敵討ちの本懐をとげて死ぬ覚悟を明かす。それを聞いて喜ぶ瀕死の本蔵から師直邸の絵図面を受け取ると由良助は力弥と小浪に一夜の契りを許して旅立っていく。あとに残った本蔵も戸無瀬と小浪にみとられてあの世へと旅立って行くのだった。
十段目・発足の櫛笄(天川屋儀平の内) 捕手と芳松・天川屋儀平・捕手
討ち入りの準備は着々と進んでいる。その中で武器調達は商人天川屋儀平に任された。儀平が信頼できるか確かめるために大星由良助は次の計画を仕組む。塩谷家に恩のある商人天川屋儀平は(討ち入りの秘密が漏れるのを恐れ)妻を離縁して実家に戻し使用人に暇を出して密かに塩谷遺臣の武具を用意していた。武具調達の嫌疑により捕り手が押し入り長持を捜索しようとするが儀平は口を割らない。息子芳松の喉に刀を突きつけられても儀平は「天川屋儀平は男でござる」と長持の上にどっかと座り全く動じない。これは由良助が義平を試すため同志を捕り手に変装させ天川屋に踏み込ませたのだった。儀平の信義に感じ入った由良助が長持ちの中から姿を現し、儀平に深く詫び、義心を讃えて「天」と「川」を討ち入りの際の合言葉にすることを約束した。
十一段目・合印の忍び兜(討ち入り場) 矢間重太郎・竹森喜多八・高師直・大星由良助・浪士
こうした数々の苦難悲劇を乗り越え、とうとう敵討ちの当日がやって来る。高家の門前に集合した塩冶浪人たちは1人1人姓名を名乗り由良助の合図で屋敷の中になだれ込んだ。目指すは高師直ただ1人である。激しい争闘ののち夜明けも近づいたころ、浪士たちは炭を保管する小さな小屋に隠れていた師直を見つけ出す。由良助は塩路判官形見の短刀で敵師直の首を取った。
十二段目・両国橋引揚 浪士・浪士・大星力弥・大星由良助・服部市郎右衛門・従者
こうして目的を達成した浪士たちは勝鬨をあげ、両国橋を渡って、主人塩冶判官の眠る泉岳寺へと向かうのだった。*大星由良助の襟に「大石良雄」と実名が記されている。*史実では登城路である両国橋ではなく(両国橋では広小路で休憩しただけ)一之橋・永代橋を通って泉岳寺に向かった。が「絵になる」のは両国橋なので、忠臣蔵では両国橋を通って引き揚げたことにしています。
歌舞伎での上演では(時間の都合で)場面のいくつかが省略されます。ゆえに全ての場面が揃っているこの作品は貴重なものです。歌舞伎や人形浄瑠璃を上演するには多大なカネと手間暇がかかりました。江戸や大阪ではいざ知らず、地方では容易に上演できなかったのです。したがって「久留米おきあげ」の如きビジュアルな造形をふまえて語られる仮名手本忠臣蔵は地方に住む者に大きな娯楽を与えていたことでしょう。特に島崇家から寄贈された「仮名手本忠臣蔵」セットは個々の造形が優れているばかりではなく背景の絵によって具体的な場面をイメージできるものであり秀逸です。このような優れた作品こそは「久留米おきあげの真骨頂」と言えるでしょう。前回述べたとおり赤穂事件は(大石内蔵助の参謀格だった吉田忠左衛門の妻リンが久留米藩士羽田重矩・柘植定長の実姉であった縁により)筑後の地にも強い影響を与えていました。このような背景事実があるからこそ「仮名手本忠臣蔵」を通じ筑後の人々は赤穂浪士の心情に涙していたのでしょうね。(終)
* 松井今朝子「仮名手本忠臣蔵」(河出文庫古典新訳コレクション:全集版あとがき)で、松井さんは本作品の特徴を次のように見事に要約しています(198頁)。
タイトルで「忠臣」を謳いながら、ドラマ全体は忠義よりもむしろ三組の男女の恋愛をモチーフに展開するところが、当時の庶民感情に強くフィットしたことも窺えます。まず事件の発端は高齢の意地悪な権力者高師直が絶世の美女顔世御前に邪な恋心を抱いたこと。対照的に小浪力弥の若年カップルが育む純愛には周囲の大人たちが負けてしまうホームドラマ風の悲劇もあれば、間の悪いオフィスラブで人生が狂った若手エリート社員のような早野勘平は全作の大団円に至るまでその存在感を強く発揮します。要するに、男女の恋愛の他にも、夫婦愛や親子愛に充ち満ちた「仮名手本忠臣蔵」は、忠君愛国思想とも企業戦士のバイブルともかけ離れたヒューマンドラマだったのです。