歴史散歩 Vol.65

歴史コラム(フィールドワーク)

先日、銀閣寺の茶会に参加する機会がありました。有馬頼底・相国寺管長の御縁によるものです(慈照寺銀閣は相国寺の塔頭寺院)。前日から京都に入り修習生時代の友人と酒を酌み交わして楽しい時間を過ごしました。友人に「昼間何をしていたのか」と問われた際、私が「*銀行記念館とその周辺を歩いていた」と答えたら驚かれました。京都の人の感覚では翌日の「銀閣寺の茶会」との組み合わせが極めてアンバランスのように感じられるようなのです。
 茶会は茶を飲むだけで終わるものではありません。茶や茶碗を作ってくれた人への感謝の心を持つこと・その建物や庭を造った人の苦労に気を配ることも大切な要素です。教科書では銀閣寺は足利義政が「作った」と書かれます。しかし足利義政が自ら石を運び木を切って観音殿や東求堂を造った訳ではありません。足利義政は建築資金を出し自分の美意識に従って設計を指示しただけです。現実にこれらを施工したのは善阿弥や孫・又四郎をはじめとする当時「河原者」と呼ばれた被差別民でした(上杉聡「これでわかった!部落の歴史」解放出版社89頁 )。銀閣寺の茶会とかつて被差別地区と呼ばれていた場所を歩くことは同じ価値を有します。等しくフィールドワークの対象です。
 フィールドワークとは研究対象に研究者が直接接触して観察する社会調査のスタイル。机上の学問ではなく研究者が対象地域に足を運んで生きた生活に触れることに意義があります。フィールドワークは難しい作業。学問的描写には対象から距離を置いて冷静に物事を観察する「クールな視線」が必要です。しかし、社会との繋がりを創るためには相手方との「ホットな心の触れあい」が必要になります。このコラムを書くために私は所縁の地を歩いているのですが、机上の研究で終わらないように生きた生活世界に触れることを目標にしています。対象となる人や地域や物語との触れあいが不可欠だと思っています。私にとって「歴史散歩」とはフィールドワークそのものです。

前の記事

東京の石橋正二郎3

次の記事

夏目漱石と久留米1