歴史散歩 Vol.6

歴史コラム(経緯としての歴史)

 「経緯」とは何でしょうか?「経」とは縦糸「緯」とは横糸のことです。日本人は地球上の位置を表すために地球の上に蜘蛛の巣(ウェブ)のような線をイメージして、縦糸にあたるものを「経度」、横糸にあたるものを「緯度」と名付けました。すばらしい言語感覚ですね。
 現代思想の生みの親として認識されているのはフェルデイナン・ド・ソシュールというスイスの言語学者です。ソシュールはジュネーブ大学で一般言語学の講義を行いますが、あまりの名講義であったため、死後、弟子達が自分がとったノートや師のメモをまとめ「一般言語学講義」として1916年に出版しました。この革命的な思想は人類学・記号学・精神医学・社会学等に広範に影響を与え「構造主義」の知的土俵を用意しました。主たる構想は①言語学の対象は具体的に使用される言語使用(パロール)ではなくその根底にある言語体系(ラング)である、②ラングは通時態(時間的経過による変化)ではなく共時態(時間を止めたところの要素間の関係)で分析しなければならない、③共時態としての言語は差異の体系にすぎず、あらかじめ客観的実在として存在しているのではない、④記号のシステムである言語と対象の結びつきは恣意的なものである等の諸命題と思われます。
 私たちは歴史を単なる時間的経過の集積として考えるわけにはいきません。哲学者ミシェル・フーコーは人間の知全般を考古学という観点で記述して見せました。郷土史も別の観点で読み直すことが出来るように思います。単なる発展史観ではない歴史、その時々の主体間における偶然の結びつき。主体間に働いている力。結果論ではなく、その時点の主体が感じていたであろう感情の再構成。そういったものが感じられる共時論的歴史(経緯としての歴史)に私はあこがれます。

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