Post-truthの時代
平野啓一郎氏が西日本新聞「堤論」で次の趣旨を述べています。
オックスフォード英語辞典が2016年の「今年の単語」にPost-truthを選んだ。これは「世論形成に於いて客観的事実よりも感情や個人的な信念に訴えることの方がより影響力を持つ状況を示す形容詞」である。政治と組み合わせると「真実はさておきの政治」「真実は無力の政治」という意味になる。プロパガンダのような政治が世界中で蔓延している。日本も例外ではない。人間が直接に経験していない出来事の意味を知るには証言や記録の意味の分析が必要だ。直接的経験ですら錯覚や誤解のために真実とは言えないことがある。事実の認定は必ずしも容易ではない。事実が確定した後も、新たな情報の出現により常に更新される可能性をはらんでいる。
「政治」という営みには<真実はさておき>という側面が昔から大なり小なり随伴しています。オックスフォード英語辞典が「今年の単語」にPost-truthを選んだことを「何を今更」という冷ややかな目線で受け止めた方もいることでしょう。しかし2016年に世論形成に於いて客観的事実よりも感情や個人的な信念に訴えることの方がより影響力を持つ状況が世界的に目立ったのは、そのツールの驚異的進展によるものと言えます。少し前までプロパガンダの手段は紙媒体であり、それが電波媒体に移ったのも最近のことです。この移行は劇的でしたが、電波媒体を用いる主体が政府・大企業・有力者に限られていたために、その色合いは比較的見やすいものでした。しかし現在のSNSは誰でもアクセス可能ですから証言や記録の意味の分析が逆に難しくなっています。事実を正確に認識するために自分の錯覚や誤解を予め勘定に入れる必要が生じています。これまで法律家が職業的に訓練されてきた「事実認定の技法」を一般社会人も意識すべき時代になってきたのです。