「未開の思考」なるものは存在しない
レヴィ=ストロース「野生の思考」(La Pansse Sauvage)の翻訳者である大橋保夫氏は、この著作の狙いを次のように解説しています(日本語版・みすず書房)。
本書の直接の主題は文明人の思考と本質的に異なる「未開の思考」なるものが存在するという幻想の解体である。未開性の特徴と考えられてきた呪術的・神話的思考、具体の論理は実は「野蛮人の思考」ではなくわれわれ「文明人」の日常の知的操作や芸術活動にも重要な役割を果たしており、むしろ「野生の思考」と呼ぶべきものである。それに対し「科学的思考」は限られた目的に即して効率を上げるために作り出された「栽培思考」なのだ。
科学的思考を絶対視する者は世間人の考え方をバカにします。しかし科学的思考なるものは極めて特殊な条件においてのみ妥当するものです。法曹実務家が意識すべきなのは社会的に一般化できる「ポップ的理性」(野生の思考)なのです(学者8)。司法試験で優秀な成績を収めた者が法曹実務家として優秀か?必ずしもそうではない。学校秀才が実社会で活躍できるとは限らないのと同様です。実務法曹に求められるのは「栽培的思考」ではなく「野生の思考」。「無菌状態の研究室において厳密に成立するコトバを作る思考」と「いかがわしさが同居する世間において即席的に他人に共感可能なコトバを作る思考」は妥当領域を異にします。どちらが上とか下だとかいうものではありません。これを理解していないと科学に対するコンプレックス(科学の「絶対視」や「無視」)が生じてしまいます。弁護士に求められている能力は、科学を尊重しながら、目の前の具体的事実に関して即席的に「当たらずとも遠からず」(0点か100点かではなく常に80点をキープするような感じ)で機敏に対応できる能力(野生の能力)だと私は感じております。