5者のコラム 「役者」Vol.91

運命共同体としての組織

米屋尚子「演劇は仕事になるのか」(彩流社)に以下の記述があります。

築地小劇場は1924年に伯爵の祖父を持つ土方与志が私財を投じて小山内薫らと開場した劇場で、劇団名でもあり、多くの演劇人を輩出しています。(略)築地小劇場の時代からどうやって公演を打つ資金を工面するかということに腐心した人はいて、築地小劇場では俳優育成を含めてかなりを土方与志が負担していたといいます。財源は入場料収入だけでは足りず支援者が必要で観客の支持会員制を導入しようとしていました(それでも大部分は土方が負わざるを得なかったわけですが)。(略)新劇運動の初期は俳優たちが演劇で食べていくこと以前に演劇を社会に存在せしめようという運動で、当時、一部は危険思想視されていた社会運動とも結びついていました。戦前・戦中は命をかけた運動とも言えました。運動体としての仲間同士の結束が絶対に必要だったのです。(略)戦後になって演劇活動への弾圧こそなくなり、また社会運動の側面は徐々に後退していきましたが、演劇を社会に広めるため劇団員の総意のもとに負担を覚悟で活動してゆくという芸術共同体としての「劇団」の特徴は戦前の運動から大方受け継がれていたのではないかと思います。(36頁)

戦前の弁護士は地元の名士的存在の方が多く、弁護士会の活動は低調であり、相互扶助的色彩が強かったようです。治安維持法違反の容疑者を弁護することは命をかけた行為とも言えました。当時は危険視されていた社会運動と結びついていた弁護士もいました。それゆえ国家権力の弾圧に耐えるには仲間同士の結束が絶対に必要だったのです。敗戦後、弁護士活動への弾圧は表面的には無くなりました。アメリカ主導による司法改革の嵐の後は更に社会運動の側面が後退しています。会員の総意の下に社会的に活動してゆく運命共同体という面が徐々に弱まりつつあるようです。