賞味期限を延ばすための古典の活用
小林賢太郎「僕がコントや演劇のために考えていること」(幻冬舎)に次の記述。
100年後に観て最新のものと遜色なく楽しめる、そんな耐久性のある作品を作りたいと考えています。未来の人にもウケたいわけです。だから時代を反映した要素は使いません。(略)今日最新のものは明日は最新じゃないものになります。しかし既に古くなっていることなら将来的にも鮮度の差が出ません。懐かしいものは来週も・来月も・来年になっても懐かしいのです。10年前の現代劇は今観ると古くさく感じます。しかし10年前の時代劇は今観ても当時と同じ江戸時代です。時代を反映させないのは作品の耐久度を上げるコツです。
ネット上の言説の多くは耐久性が低い。否、ネット上の言説には家や道具に使う耐久性という言葉は似合わない。食品に使う賞味期限の方が似合っています。特にSNS上の情報は賞味期限が短い。1分も持たない情報、極端に言えば1秒後には陳腐化を始める情報が洪水のごとく流れてきます。SNSなので各自勝手に発信すれば良いのですが(100年後に観れば人類学的考察の対象として意味を持つのかも)同時代を生きる者としては少し残念な印象を持ってしまいます。ネット上に発言の場所を与えられた私はもう少し耐久性を持った言葉を発したい。1年後、出来るなら10年後も、リーダブルな言葉を作りたい。私は未来の人にも読んでもらいたい。現在の人にしか通じない題材は使いたくありません。むしろ「既に古くなっている題材を新しい視点で取り上げることで将来に繋ぐ」役割を果たしたいと思っています。既に古くなっていることならば将来的にも鮮度の差が出ないからです。このコラムでは古典を多用しています。古典は長い長い年月を生き残った耐久度の高い言葉の宝箱です。私は古典を引用することでコラムの賞味期限を伸ばしたいのです。