5者のコラム 「学者」Vol.153

調停制度の沿革

隣組は昭和15年9月11日に制度化。部落会町内会等整備要領は行政下請機関として町内会を整備し隣組を組織することを義務付けた。江戸時代の5人組が原型。連帯責任と相互監視を担う。防空演習・強制貯金・金属供出・必需品配給は隣組を通じて行われた。(以下入江教授と議論)
I 1939年の人事調停法が家事審判法の前身で、1942年の戦時民事特別法が民事調停法の前身です。司法における1940年体制という見方もできます。
H なるほど。権利義務関係にもとづく形式的な判断を忌避して「正当な理由」の有無でまるく収めるやり方が司法における1940年体制と評価できるのですね。調停制度の意義と問題点を正確に把握するために不可欠だと考えます。
I 裁判所は言いたがらないようですが遡って文献を見ていると明らかにそうです。例えばジュリストでの兼子一教授の発言「戦争中に一般民事調停がつくられて『出来るだけ広い範囲の事件を全部調停に持ち込めるようにした空気は非常に結構なことだ』という意見も考えられますが、私は戦争中のあの意識というものには『国民は一致しなければいかぬのに国民同士で喧嘩するとは何ごとだ・簡単に片づけるから持って来い』という意識が多分にあったので、あの時の考え方を今すぐ持ってこられては困ると思った。」(兼子一他「「調停」をめぐる座談会『調停』疑なきにしもあらず」『ジュリスト』20号(1952・10)26頁以下)。穂積重遠博士には「五人組と大東亜共栄圏」という(誤解されやすい)タイトルの講演なんかもあります。市民の相互監視の活用(とコントロール)を政策に使うという発想は関東大震災(1923年)後の混乱に起源があるようです。
H 兼子先生が調停制度に距離を置いた発言をされているのも頷けますね。

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