5者のコラム 「5者」Vol.131

複眼的な社会考察の意義

平野龍一博士は名著「刑事訴訟法」(有斐閣)のはしがきでこう述べます。

これまで我が国では訴訟の動的把握ということが宣伝されてきた。確かに訴訟は動くものであり動的理論構成によって多くの学問的成果が生み出された。しかし他方、法律関係を不明確にし被告人の地位を不安定にしたうらみもなくはない。そこでこの動中に静を求め、いわば静的な理論的構成を試みてみた。訴因や訴訟遂行過程の考えはその現れである。

この「動中に静を求める」考え方は構造主義言語学に起因していると私は考えます。言語学の対象は具体的な言語使用(パロール)ではなくその根底にある言語体系(ラング)である、ラングは「通時態」(時間的経過による変化)ではなく「共時態」(時間を止めたところの要素間の関係)で分析しなければならない、というのがソシュールの主張の骨子です。
 ネット社会になり情報が瞬時に世界を駆け巡るようになりました。多くの人が情報に振り回されています。たしかに社会は動くものであり動的(ダイナミック)な視点によって多くの成果が生み出たのかもしれません。しかし動的視点のゆえに見逃していることが多々あるはずです。動的視点は問題の所在を不明確にし「公正」の理念をないがしろにする可能性があります。私はこの動中に静を求め静的(スタティック)な視点を確保したい。そのため重視したいのが複眼的な社会考察です。複数の評価軸を準備し、その総合として対象を評価する。社会的な話題をカッコに入れ、判断停止の状態に置いて「要素間の関係」を静かな分析の対象にする。動的な情報に飛びつくのは決して良いことではありません。情報を静かに寝かせて、共時態で、複眼的に考えるようにしましょう。

芸者

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