神無き世界の不条理劇
演劇は2000年以上の歴史があります。一般的な進行は何かの事件が起こること。何かの事件が起きて何かの意味で解決する。それが物語として成立する。この「演劇の文法」を破る作品が1953年に上演されます。<反演劇>の異名を持つ「ゴドーを待ちながら」(サミュエル・ベケット)。ゴドーという名の人物を巡る2人の台詞が延々と続くだけ。多くの評論家から「神なき世界の不条理を描いた」など評価されたこの作品は世界的な話題になりました。
近時若手と話していると「仕事が少ない」と嘆く方が少なくありません。が、この職業はどこかに出向いていって事件受任を願っても仕事に結びつきません。こういう時は次の句を口ずさむに限ります。「風車・風のない日は・昼寝かな」(広田弘毅)。今は風がなくとも「そのうちに風が吹いてくる」。気長に待つことが出来なければ、この職業を続けていくことは出来ません。私も事務所を立ち上げて直ぐの頃は自分に廻ってくる仕事があるのかと思っていました。が、ある事件が終わる頃には別の事件が舞い込んできて例年ほぼ同じような線で仕事してきました。風は気まぐれに吹いているように見えます。しかし実際には大きな気象条件の下で規則的に吹いていました。これまで弁護士業界には神様がいて、その神様の下で偏西風のような一定の風が優しく吹いていたように感じられます。しかし時代は変わりました。「司法改革」の名の下に激増した法曹の多くが弁護士になり、他方で裁判所に係属する事件数は減り続けています。若手には不安が渦巻いています。「風が吹いてこなかったら?どうする?」それは演劇界の話ではなく弁護士業界のリアルな不条理劇です。名を付けるなら「風を待ちながら」。それは弁護士にとって<神なき世界>の始まりかもしれません。