相手を殺す・自分を殺す
「聖の青春」(森義隆監督)主演の松山ケンイチさんはこう述べます。
(質問) 将棋は勝つか・負けるかの世界です。勝負の世界について感じることは?
(松山) 自分の中の何かを殺さないと出来ない世界だということ。役者の世界も全身全霊で臨むってことは自分の中の一部分だけを特化させているようなもので「演じるって自分を殺す作業」と言われる方がいます。自分を殺さないと村山聖って役が出てこないですよね。演じきったことで燃え尽き症候群じゃないですが反動が来たりはします。
弁護士が取組む訴訟も勝つか負けるかの世界として組み立てられています。進行の中で和解機運が生じ白黒を付けずに終わることもありますが、それは事後的に判ること。最初から引き分け狙いで提起するような訴訟で良い結果が出るはずがありません。訴訟を提起する際の原告側弁護士の意思は相手を「殺す」ことです。訴訟遂行においては自分を「殺す」ということです。「殺す」のでなければ反対に自分が「殺される」わけですから普段着の自分の何かを殺す姿勢で臨まなければ勝負師として甘さが出てくることになります。内藤國雄九段のエッセイからも伺われるように弁護士の仕事は外側では美しい理念をまとい静かに仕事していますが、内側では激しい炎が燃えさかっています。ムキになってやれば命を擦り減らします。途中で燃え尽き症候群に陥る方も少なくありません。仕事熱心な人ほど私的な側面で反動が来たりします。私は周囲の理解が得られる客観状況を確保できた暁には自分の誇りと健康を守るために早めに引退できたらと願っています。もちろん引退するまでは相手を「殺す」自分を「殺す」意思を持ちながら仕事しなければなりません。