理科系的な勉強の必要性
鈴木光司氏は「なぜ勉強するのか」(ソフトバンク新書)でこう述べています。
大学時代は興味のある授業には何でも出席しました。良い成績での卒業が目的ではなく全ては作家になるためのトレーニングでした。とりわけ哲学には興味を覚えたので沢田充茂先生の科学哲学のゼミに入りました。科学哲学は科学的手法を応用した論理実証主義で、カントの時代には「ここからは神の領域だから判らない」と言われていたところまで踏み込んで現代社会における人間の存在を深く理解しようとする学問です。学ぶ上では物理や進化論とか分子生物学、遺伝学など様々な生命科学、場の理論や複雑系など先端科学についての理解が必要となります。(略)ですから、科学を知ることなしに人間の本姓を考えたり哲学を論じるのは不可能とも言えます。ギリシャ時代から哲学者はイコール物理学者・数学者でもあったのですから、考えるまでもなくこれは当然のことなのです。
学生時代に強い目的意識をもっていなかったので私は職業を意識した勉強を行わずに過ごしました。少し哲学をかじってはみたものの1人で日本語訳の書籍を若干読んだ程度です。それでも自分に幸いだったのは(高校生の頃理系クラスだったので)自然科学にも多少の親しみを覚えていたこと。現代哲学を深く学ぶためには様々な先端的な科学分野についての入門的理解が多少は必要。それらに興味を持っているか・否かで現代哲学についての理解は大いに異なってくることになります。これは法律実務にも言えることです。法律実務を踏み込んで理解するためには自然科学に対する理解が(ある程度)必要です。「ここからは理科系領域だから自分には判らない」という逃げ口上は通じません。現代社会における法律問題を理解し解明するために理科系的な勉強もしていきましょう。