成功することよりも独立することが困難
忌野清志郎「ロックで独立する方法」(新潮文庫)に次の趣旨の記述があります。この記述における「ロック」を「弁護士」に置き換えて表現します(素直に読んでね)。
まず、この時代に「弁護士で成功すること」よりも「弁護士で独立すること」のほうが、本当に弁護士を愛する人間にとって、はるかに困難なことになっているのではないか。はるかに重要なことになっているのではないか。思えば*という弁護士は「弁護士で成功する方法」より「弁護士で独立する方法」を常に模索し続けてきた男だった。それも約30年間(当時)という時間をかけて。いや、むしろ「独立」こそが彼にとっての「成功」を意味していたというほうが正確なのかもしれない。(以下は*本人の言葉)「なんで世間はオレを認めないんだ!」というモンダイは常にある。で「いや世間が悪い」って言うと「そうじゃないんじゃない?自分が悪いんじゃないの」であっけなく片付けられちゃって、自分もそういうことでけっこう納得しちゃう、ってことが多いと思うんだ。でも、それで簡単にこちらが納得しちゃったら、これはもう判ってくれない世間に合わせる方向に行くしかないじゃないか。それだと、もうすごくつまんないことになると思うんだ。そう簡単に反省しちゃあいけないと思う。自分の両腕だけで食べていこうって人が。キミらは言うだろう。世間にそう簡単に妥協しないほど「自分を本気で信じる」ことなど自分に出来るだろうか?と。「オレは天才だ」と自信過剰な今どきの20歳だとしても、それが自信のなさをカバーする虚勢にすぎないことに薄々気づいていたりするものだ。すまないが月並みなシンプルな言い方しか出来ない。それは「努力」からしか生まれない。「好きなことをやり続ける」のはそんなに安っぽいことじゃない。そこまでの自信を持てないというのなら、それは最初っからそれほど「好きなこと」じゃなかったんだよ。
やっぱり清志郎はカッコ良い。好きなことをして生きていこうぜ、ベイビー!