5者のコラム 「役者」Vol.158

演技なんてしていないように見える

柄本明「東京の俳優」(集英社)に次の記述があります。

はっきり言って観客は敵である。なぜなら観客は必ず何かを舞台から見つける。そういう目で舞台を見ている。あっ、いま間違った。こっちは良いけど、あっちは下手だなとか。俳優という名の「檻」に入ってしまったら最後、人に見られることを常に意識し、それを一生の仕事にすることになる。俳優は、人間が「檻」の中にいて、いつも人目にさらされている。しかも「檻」の中にいる以上は生(ナマ)の人間であってはいけない。名優と呼ばれる人は「檻」があるのを分かって「檻」から出たり入ったり自由なのだ。偉い役者は、演技はしているが、演技なんてしていないように見える。その人物になりきっている。自然な行為の中の不自然、不自然な中の自然である。

弁護士にとって依頼者は敵である。なぜなら依頼者は必ず弁護士の行為から何かを見つける。そういう目で弁護士を見ている。あ、いま間違った、ネット上の情報と比べてここが無知だ、とか。弁護士という法的世界の「檻」に入ってしまったら最後、常に世間に見られることを意識し、それを一生の仕事にすることになる。弁護士は「檻」の中で人目にさらされている。「檻」の中にいる以上は生身の人間であってはいけない。良い弁護士は「檻」があるのを分かった上で「檻」から自由に出たり入ったりしている。弁護士だって演技しているのだが、演技なんてしていないように見える。期待されている役割を理解して、役割を自然にこなしている。
 以上は模倣的記述です。私はそのような存在ではあり得ません。私は「檻」から出たり入ったりすることに強い違和感を感じてきた人間です。しかしながら仕事を続ける以上は世間に見られることを意識し演技を継続することを覚悟しなければなりません。

易者

次の記事

疫学と差別