5者のコラム 「5者」Vol.11

渡橋俊則君の思い出

波多江伸子「さようならを言うための時間」(木星舎)は渡橋俊則君(北九州46期)が肺ガンを発病し亡くなるまでの時間が柔らかな視点でまとめられたものです。
 スーザン・ソンダクは「隠喩としての病い」(みすず書房)でこう述べます。

癌を記述する際の中心的な隠喩は戦争用語から借用されたものである。
(略)癌細胞はもとの腫瘍から体のずっと離れた他の部位に「植民地を作る」こともある。自分自身の血液補給路を持つ何百万という破壊的な細胞からなる腫瘍をつぶしてしまうほどの体の「防衛力」が強いことはまず殆ど無い。治療法にも軍事的なものがつきまとう。放射線療法には空中戦の隠喩がつきもので、たとえば患者は有毒の光線によって「空爆される」。化学療法は毒物を使う化学戦争となる。(略)医学の中で軍事的な比喩が広く使われ始めるのは、細菌が病因となることがつきとめられる1880年代に入ってからのことである。細菌は「侵入する」「潜入する」と言われた。しかし、癌の場合「包囲」とか「戦争」とかいう表現が、今日では異様なほどの迫真性と力を持つに至っている(97頁以下)。

渡橋君は癌と戦争をしませんでした。争いが嫌いな彼は癌細胞とさえ仲良くすることを選んだかのようでした。彼はこう書き残しています。

私は生きている間に何かを成し遂げよう何かを残そうといった気持ちは持たずに生きてきました。人生に価値のある人生・価値のない人生といった区別はないのだろうと思っています。とびっきりに楽しいこと・嬉しいことなどはそれほどなくてもいいから、つらいこと・悲しいこと・痛いこと・苦しいことなどのなるべく少ない平坦な穏やかな人生を望んできました。はらはら・どきどき・わくわくするようなことは特に望まず、ただ春先に昼寝をしている猫のような、ゆったりとした穏やかな気持ちで過ごしていきたいと思ってきました。生を受け与えられた寿命までを生きる、それで良いのだろうと思います。

渡橋君の葬儀は梅雨の土砂降りの雨の中で行われました。式が終わるとき私は修習同期として彼の棺を担ぎました。ご冥福を祈り合掌。

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