5者のコラム 「医者」Vol.43

死は生理現象か病理現象か

昔、ある本で死は生理現象か病理現象かとが論じられていて面白かった記憶があります。一般に死は生理機能に障害が起こったため生じる病理現象と感じられています。が生物は死ぬべくプログラム化されており、プログラムの実行命令として死が生じるとの見解もあります。
 中川恵一「がんから死を見つめる」(毎日新聞連載)に次の記述があります。

もともと生物に寿命などありませんでした。栄養がふんだんにあって環境が良ければ、細菌などの原始的な生物は際限なく増殖します。しかし細菌に「自他」の区別はありませんから、寿命がないと言えます。「性」をもつ私たちは個人のかけがえのなさと多様性を手に入れましたが、その代償として個体の死を運命づけられました。死は私たち生物が進化の中で「自ら創造した」ものなのです。がん細胞とは、細胞が「死ぬため」に作られた遺伝子が壊れ、細胞がもともとの「不死」の状態に戻ったものといえます。培養液の中で大腸菌が増殖し続けるように患者さんの栄養を横取りし、がん細胞は際限なく増えていきます。しかし患者さんが「栄養失調状態」になって亡くなると、がんも生きてはいけません。

私たちが個体として死ぬことは「個のかけがえのなさと多様性を手に入れるための生物の戦略」なのです。ならば死を意識することは個人の尊厳を守るために不可欠の事項です。弁護士業務をやっていると人の死に接することがしばしば生じます。その中で「現代日本の個体の死は甚だ貧困である」と感じることが少なくありません。 昔、田舎のある無学の老女が詠んだ次の辞世の句が私には強く印象に残っています「1人来て 1人で還る 死出の道 花の浄土に 参る嬉しさ」。死が生物が進化する中で自ら創造したものであるならば個のかけがえのなさと多様性を再び手に入れるために「死の文化」がもう1度創造されなければならないような気がします。

芸者

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